「純と愛」(NHK朝の連続ドラマ)
今さらあたりまえやけど、ドラマはうそや。うそやからおもろい、ゆうことやけど、どんなうそでもおもろいわけやない。どんだけおもろいうそつくか、ゆうことがドラマの勝負どころですけど、ほんなら、おもろいうそとおもろないうそは、ぜんたいどこが違うねん?てツッこれはる人がいたはるやろな。ゆうたげましょ。おもろいうそには、ほんまが混じってますんや。ほんで、そのほんまが、うそとくべつがつかん——これが、おもろいドラマの、まあゆうたらひけつですわ。
NHKのあさドラ「純と愛」は、さいしょタイトルみたとき、なんじゃこりゃと思てみませんでしたけど、しずかなきもちではいけんしましたら、その前の、なんや女医さんをめぐって誰と誰がけっこんするやらせえへんやらゆうしんきくさい話より、よっぽどええ。ほんまにねぇ、じんせいにおいて、さいしゅうてきには、けっこんみたいなもん、どうでもよろし。だいじなんは、なんちゅうても純愛やからね。こうゆう嘘つきとおしてこそ、ドラマゆうもんや。
このおはなしのしゅじんこうは待田愛(風間俊介)て言わはるかいらしいぼんで、双子のおとうとが死んだんがきっかけで、人の顔みたらその人の本性がみえるゆう、ちょうのうりょくを持ってしまはった。こうゆうテレパスみたいな超能力ゆうもんは、ドラマ的うそとして強力な道具になるやけど、なかなか扱いがむつかしいです。むかし筒井康隆げんさくの「七瀬ふたたび」ゆうドラマがあったけど、このひろいんの火田七瀬はテレパシーがでけはるさかいふつうの世間では生きられん。ほんで、おんなじようなテレバスどうし見つけてつきあう、ゆうことでドラマとしてはなんとか安定を計る。
それに対して、このドラマの愛(いとし)ゆうぼんが恋におちはる相手は、ひとの心どころか空気さえも読めん、つまり本性も見かけもおんなじ天然(つまり、アホゆうことやけど)の、宮古島しゅっしんの狩野純(夏菜)ゆう娘や。そういう娘はやっぱり宮古島出身やないとかあんねやろか、ゆうあたりは、オリエンタリズム(E・サイード)ゆうか「南島イデオロギー」(村井紀)ゆうか、びみょうなとこやけどね。
まあしかし、このせちがらいシニカルな21世紀において「純愛」ちゅうようなもんを成立させるドラマ的うそを醸成するには、これぐらいの設定はないとあかんのやろね。
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