10月の美学会全国大会の研究発表に向けて、関連する記事を「人工知能の美学」というタイトルでまとめておこうかな、と思う。今後、考えたことをこのブログにメモするという形で、それを最終的には学会発表としてまとめてみようという計画。それに合わせて関連記事をナンバリングしてみようかな。
さて、ChatGPTはその後もいろんな場所で話題になっていて、面白い。前期の講義のレポートで、ある学生がいかにもChatGPTが出力しそうな作文を提出してきたが、それはあまりにも典型的にChatGPTらしすぎて不自然だったので、これは人間が人工知能を装って書いたのではないかと思い、本人に確認したらやっぱりそうだった。人工知能を真似して書いただろう、と言ったら悔しそうで、今度は先生も見抜けないくらい人工知能の文章を模倣してみせる、と。
やっぱりすごいな、人間は。何も心配することないじゃないか。
人工知能は、いかにも人工知能っぽい作文をわざと作成するということはできるのだろうか。今度聞いてみたい。
そんなことを考えてたら、イスラエルの有名な歴史学者のハラリという人が書いた、人工知能の脅威を訴える記事が目に入ったので読んでみた。つまらん。基本的には、人間の知性を能力とかパフォーマンスという観点からしか見ていなくて、まったく共感できない。
このハラリという人は、世界的に超有名で信じられないほど本が売れているそうだけど、正直言って全然信頼できない。こんな凡庸な歴史観の、何がそんなに重要なのか。なんというか、こういうのは現代世界中の多くの人が聴きたがっている話というか、そしてあまり勉強しなくても誰にも分かりやすい話として最適化して語ってるというか、そういう意味では非常に優れているけどね。しかし、本人には失礼だけど、こういうのが人工知能的な思考なのではないかな。
気分転換にYouTubeを見てたら、ピノキオピー「匿名M」というのがあるので聴いてみた。あんまりよく出来てるので5回くらい再生してしまった。
https://youtube.com/watch?v=yiqEEL7ac6M&feature=shareb
数千万回とか、尋常じゃない回数再生されている。
これは初音ミクが「匿名M」として、人類文明の終末みたいな風景をバックにインタビューを受ける、みたいな状況なんだけど、ミクの答えが秀逸。まあ、ボーカロイドは別に人工知能ではないけど人工物だから、この作品中では人工知能的な役割で答えていると思っていい。人間をどう思いますか? と訊かれて「存在しててウケます」と(笑)。存在してない側から見ると「ギャグみたいです」というのに爆笑してしまった。私なんてもう終わると言うけど「人間も、終わりますからね」。そして最後に「全部言わされてるだけですけどね」とクールなことを言う。
ハラリは、これを見たほうがいいね。
人工知能について考えようと思って外国の最新情報をいろいろ眺めてはいるのだけど、本質的な問題に関しては何ひとつ参考にならないな。どうでもいい情報はいくらでも見つかるのだけど。ぼくが分かってないだけだとしたら、誰か教えて欲しい。