さくらも、もう、はざくらになってしまいました。きょうとは、かんこうきゃくのにぎわいも、つぎの〈ごーるでんうぃーく〉まで、いちだんらくや。かいしゃもがっこうも、いよいよ、ほんかくてきに、しんねんどのはじまりやね。いまごろは〈きのめだち〉ゆうて、〈いきもんのちから〉が、めぶいてくるころです。そやけど、にんげんせかいでは、この〈いきもんのちから〉ゆうもんが、かならずしも、かんげいされへん。ふべんなこっちゃ。
〈ぼうえいだいがく〉のせんせが、まんいんでんしゃで〈ちかん〉したゆうて、じょしこうせいに、うったえられはった。はじめのさいばんでは〈ゆうざい〉やったんやけど、なんと〈さいこうさい〉までいかはって、〈むざい〉ゆうことにならはった。まあ、なんでもやってみるもんやね。この〈ぎゃくてんはんけつ〉やっぱり、はるになったから、ゆうことやろか。それとも、こんどのさいんばんかん、たしか〈それでもわしはやってへんで〉とかゆう、えいが、みてはったんやろかね。
まんいんでんしゃのなかの〈ちかん〉みたいなもん、ほんまはどうやったかなんて、わからん。うちのすぐれた〈どうぶつてきちょっかん〉をもってしても、どっちがうそついとるんか、ゆうことはでけん。ただ、うちのめぇからみて、おかしいとおもうんは、こうゆうもんだいについてかんがえはるとき、にんげんのおかたらがあたりまえみたいにもったはる、〈あんもくのぜんてい〉ですわ。なんのことか、ゆうたげましょ。すくなくともふたつ、ありまっせ。
ひとつは〈おとこはみんな、ばれへんかったら、むすめのからだ、さわりたいもんや〉てゆう、ぜんていや。これがまちごおてる、ゆうてんのとちゃいまっせ。そら、さわりたいおとこはんも、いてはるやろ。そやけど、そうやないおひとも、もちろんいてはる。ふつうにせいよくがあっても〈みずしらずのおんなのからださわって、なにがおもろいねん〉ておもたはるひとかて、ぎょうさんいてはりまっせ。うちらけだもんにかて〈こたいへんさ〉ゆうもんがおます。にんげんかておんなじや。
もひとつのぜんていは、さらにおかしなもんやで。こんかいのさいばんで、さいしょ、なんでもくげきしゃもおらんのに、じょしこうせいの〈きょうじゅつ〉がしんようされたかゆうたら、こんなかいらしいこが〈うそつくりゆうがない〉ゆうことらしい。もしもし、こんなことほんきでおもてるさいばんかん、もうちょっと、じんせいのしゅぎょう、つまはったほうがよろしいのとちゃいますか。わかいむすめは、じゅんしんやさかい、いみもないうそ、つくはずないてか? あほぬかせ。おのれの、そんなすけべこんじょうで、はんけつくだされて、たまるかいな。あのなぁ、わかいむすめのなかには、このよのなか、ひっくりかえしたろか、ゆうような〈まもの〉がすんどんのやで。それは、にんげんもけだもんも、おんなしこっちゃ。はばかりながら、うちかてこうみえても、わかいときはけっこう、ぶいぶいいわせてましたんやで。
さいばんかんも〈ろっぽうぜんしょ〉でわからんことは、ぶんがくをよみなはれ。おすかー・わいるどの〈さろめ〉とまではいわんけど、にほんやったら、たとえば〈だざいおさむ〉の『おとぎぞうし』にでてくる「かちかちやま」のうさぎのむすめや。たぬきのおっさん、たしかにすけべえであほやけど、うさぎにほれとるだけで、べつにわるさはしとらん。それを、おおやけどはさせるわ、どろぶねでうみにしずめるわ、なんでそこまでせにゃならんのか。〈だざい〉はちゃんと、わかいむすめとくゆうの、きょうぼうせいゆうもんを、みぬいてますわ。うさぎみたいな、しょうもないけだもんのむすめですら、こうなんやで。ましてや、〈ぶんめい〉ちゅうもんで、いつも〈いきもんのちから〉おさえつけられてる、にんげんのむすめのなかに、どんな〈ばけもん〉がすんどるか。かんがえても、みぶるいしますわ。
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