みなさんがきげんようよろこんだはることに、しょうもないもんく、すきこのんでいいとうはおまへん。せやけどちょっと、めにあまるんやおまへんや。
ぺきんおりんぴっくのかいかいしきで、あめふらんようにそらにくすりまいたとか、せかいにほうえいしたはなびのいちぶがしーじーやったとか、うたうたわはったおんなのこぉがくちばくやったとかいうて、これやからちゅうごくは、みたいにひなんしたはるひとがいはるけど、ほんなもん、どうでもよろしいやん。かえっておもろいですがな。
それより、にほんのめでぃあは、にほんじんせんしゅのことだけ、なんであんな、とくべつあつかいして、そぼくにとりあげはるんや。おりんぴっくは、せかいせいじのしょうちょうてきなぶたいやのに、まるでにほんじんだけは、そこからまぬがれてるみたいな、いいかたやおまへんか。こういうほうどうと、それによってけいせいされてまう、しゅうごうてきいしきのもつ、とんでもないせいじせいに、なんでだれもきがつけへんの。ゆうたらわるいけど、ちょっと、あほとちゃいますか。
きたじまこうすけがめだるとらはったとき、まえのあてねのときも「きもちええ」ていわはった。このこめんとじたいは、まあ、いまふうのわかものらしゅうて、おもろいですわな。しかしますめでぃあは、えろうこれをきにいったはるようで、くりかえしいわそうとしたはる。ゆうどうじんもんですわ。もうちょっとましなこといわせたげなはれ。まだとしはもいかんわかぞうやいうても、きたじませんしゅがかわいそうでんがな。
「きもちええ」ちゅうんは、じぶんのしんたいの、ないぶかんかくのほうこくですわな。それがいちばん「ぴゅあ」やとおもういでおろぎーが、いまのにほんには、ちめいてきにつよすぎます。うちもけだもんやさかい、「きもちええ」をひていはしまへんけど、それをせいじてきにりようすんのは、ほどほどにしときなはれ。あしたはしゅうせんきねんびやけど、たいへいようせんそうも、ゆうたらおおくのにほんじんが、「きもちええ」とおもてはじめはったせんそうでっせ。
そもそも、にじゅういっせいきやのに、おりんぴっくがいまだに、こくみんいしきのはつようとしてきのうしてるということじたい、ようかんがえたら、ぐろてすくですわな。じぶんのくにのせんしゅがかったら、なんやうれしいようなきぃがするように、こんとろーるされてるだけでっせ。ようかんがえてみなはれ。にほんのこくぎのおすもうは、もんごるじんのよこづなのおかげで、なりたってるやおまへんか。おうべいしょこくの、きりすときょうとのはくじんのおかたがしきってはるおくにの、だいひょうとしてでたはるせんしゅらは、こくじんで、おじぃやおばぁはいすらむきょうとやおまへんか。
おりんぴっくちゅうのはたぶん、にんげんのおかたがいまのせかいで、まだぎりぎり「なしょなりずむ」ちゅうもんをかくにんできる、さいごのよりどころなんかもしれまへんな。なしょなりずむが「きょこう」であるかぎりにおいて、おりんぴっくも「きょこう」や。けど、それじたいとしてみたら、ほんまおもろい、せかいてきないべんとでんな。ほんまはめっちゃおもろいはずのいべんとを、いちばんしょうもない、さいあくのわくぐみでていじてるぎょうじ、それが「おりんぴっく」ちゅうもんのしょうたいやね。
コメント