以下の原稿は、もともと2019年10月12-13日、東京の成城大学における第70回美学会全国大会のために用意した講演原稿ですが、台風19号のために中止となったため、2020年1月12日に同じく成城大学において発表させていただいたものです。その後、雑誌『美学』に掲載するという話もあったのですが、字数制限などがあり残念ながら実現しませんでした。美学会の将来ということを意識した内容なので、このまま一般の雑誌原稿としても発表しにくいため、ここで共有したいと考えました。
〈1〉「歴史の終焉」が意味するもの
2010年、中国の北京大学において、第18回国際美学会議が開催されました。その時の大会テーマは「美学の多様性(Diversities of Aesthetics)」というものでした。企画者のひとりであった佐々木健一氏はそこで「美学の哲学的役割(Philosophical Role of Aesthetics)」というタイトルを掲げた基調講演のパネルを組織し、報告者のひとりとして、私を指名しました。そこで私はこのテーマに応える形で、「21世紀の哲学において、美学は決定的に中心的役割を持つことになる(Aesthetics should play the central role in philosophy in the 21st Century)」という報告を行ないました。その内容を簡単にご紹介することから始めたいと思います。
「美学の哲学的役割」、つまり「哲学において美学はどんな役割を果たすのか」という問いは、より大きな問い、つまり、そもそも哲学は何の役に立つのか、学問的知識全体の中で哲学はどんな役割を担うのか、という問いへと、私たちを導きます。それに対する伝統的な答えのひとつは、哲学は様々な個別的学問(とりわけ自然科学)の「基礎付け」を与えるというものです。いかなる建造物も、確実な基礎を必要とする。しかし、知識は建造物ではありません。知識が建造物のようなものであるというのは、ひとつの比喩です。知識の総体に対する「基礎付け」としての哲学の存在理由は、この比喩の有効性に依存していることになります。
現在、この比喩はその有効性を完全に喪失しているようにみえます。科学者のほとんどは「科学的知識を確実にするためには哲学的基礎付けが必要だ」などとは考えません。多くの科学者は、哲学は自然科学にとって、せいぜい無用なもの、それどころか(亡くなったスティーヴン・ホーキングのように)哲学など科学にとって有害だと考える人もいます。かつて哲学が何世紀にもわたって問い続けてきた、宇宙の起源、生命の原理、知性の本質といった問題に関しても、現代人は、それらの問いに対して信頼に足る答えを出すのは、高度に専門化した物理学、生命科学、情報科学等々であって、哲学ではないと考えています。
美学と個別的芸術研究についても、哲学と個別科学との間にあるのと同じような関係が、考えられているのではないかと思います。つまり、個々の芸術研究はべつに美学などなくても成立しうる。そう考えている人は多いのではないでしょうか。専門化した個々の芸術研究にとって、美学はせいぜい無用か、ことによると有害である、と。もしもその通りだとすれば、美術史や諸々の芸術研究・文化研究が、この「美学会」という名の学会に属している事実は、たんなる歴史上の偶然的な成り行き、あるいは名前だけのことであって、そこには何ら内在的な理由はない、つまり「美学会」は本質的には存在する理由がないということになります。
もっとも、直接的な役に立たない原理的思考が信頼を置かれないというのは、別に今に始まったことではありません。カントはその最晩年の著作「諸学部の争い(Der Streit der Fakultäten, 1798)」の中で、当時「上級学部」とされていた医学部、法学部、神学部──それぞれ身体、社会、魂の幸福のために「役に立つ」知識を探求する諸学部──に対して、下級学部として軽んじられていた哲学部の昇格を訴えました。カントの時代なら哲学は今よりもリスペクトされていたはずだ、と私たちは想像するかもしれませんが、それは幻想です。いかなる時代においても、哲学は常にみずからの知識としてのlegitimacy、正統性を求めて闘争してきたのです。
とはいえ、現在哲学や美学が置かれている状況は、もちろん18世紀末のヨーロッパにおけるそれと同じではありません。現在では、個別科学が高度に専門化され制度化されたことに応じて、哲学や美学もまた、あたかもひとつの専門的個別科学であるかのように振る舞わねばならなくなったという事態があります。そうなった経緯には様々な要因がありますが、現在の私たちにとっては、1990年代半ばから今までの、約四半世紀における社会・文化状況の変化が、特に重要だと思います。
1990年代とは、多くの人々が、多くの伝統の「終わり」を宣言したがった時代です。それ以前から議論されていた「人間による〈知(エピステーメー)〉の終わり(M・フーコー『言葉と物』)」や、「イデオロギーの終わり(ダニエル・ベル)」、「芸術の終わり(ヘーゲル、アーサー・ダントー)が、東西冷戦の終結という世界状況の事実的変化によって、具体的なイメージを獲得したように思えました。そしてすべてが「歴史の終わり(ヘーゲル、A・コジェーヴ、F・フクヤマ、東浩紀)」に収束することで、誰しも「終わり」について語ることがきわめて容易になり、まるで共通の前提のようになりました。「哲学の終焉」や「美学の終焉」が盛んに論じられたこともありました。「終焉主義(”endism”)」の支配した時代だと言えます。
このことと並行して、美学や芸術学に関わる文化状況の変化に着目するなら、1990年代とはモダニズムの規範がみるみるうちに崩れていった時代です。つまり、高級文化としての「芸術」と、複製技術、サブカルチャー、大衆文化、情報メディア技術といったものとの間にそれまで存在していた境界が取り払われ、芸術大学や美術館のあり方も大きく変わりました。このことは、1990年代後半以降現在に至るまでの文化政策を主導してきた、規制緩和、民営化、競争や市場原理の導入といった新自由主義的な流れと一致しています。つまり私たちは、モダニズム的な規範の「終わり」とポストモダン的な越境性・多様性を、基本的に「良いもの」「歓迎すべきもの」「進歩」として、あるいは少なくとも避けることのできない「歴史的必然」として受け入れるように、政治的に誘導されてきたのです。
そのように様々なものの「終わり」が宣言されたにもかかわらず、芸術活動はもちろん、哲学や美学や美術研究も、事実としては終わるどころか、むしろ以前よりも多様な芸術表現や、研究の主題や方法が許容され、多様化し、表面的には盛んになっているようにみえます。けれども根本的に変化したことがあります。それは「全体」との関係です。芸術も哲学も、世界や知識の全体に言及する活動として、自分自身を理解することをやめました。そうした態度は、傲慢で、時代錯誤的で、政治的に不適切、ダサい、イケてないと感じられるようになりました。芸術も哲学もたんなる文化の一領域として、もっと慎ましい自己理解が相応わしいとされるようになりました。芸術も哲学も、「世界」や「全体」についてではなく、結局のところ自分自身について語っている、そう認め合うことによって互いに平和共存できる。ようするに「みんなオタクでみんないい」と言うか「誰もがオタクで何が悪い?」というような、そういう状況が生まれました。
私が問いたいのは、こうした状況それ自体の意味、言ってみれば「歴史の終焉」の持つ歴史的意味です。それは言い換えれば、長らく近代の「終焉」が語られてきたが、それは本当に終わったのか?という疑問でもあります。もしかするとポストモダンとは、近代以後の新たな歴史的段階などではなく、むしろ近代の死体のようなもの、死体でありながら生き続ける近代、あるいは死体として延命された近代、いわば「ゾンビ化した近代」にほかならないのではないか? ということです。さらに言い換えるなら、それは、文化的な越境性や多様性の拡大と言われる状況の到来によって、私たちは本当に進歩したのか? ひょっとすると後退しているのではないのか?という疑いでもあります。こうした「時代錯誤的」な、ある意味ナイーヴな、ダサくてカッコ悪い、「空気を読まない」問いを発してみることこそ、今必要なことではないのだろうかと考えているわけです。
〈2〉美学とは「専門的学科(ディシプリン)」なのか?
その意味で、この話のタイトルに掲げた「美学は何の役に立つのか?」というような問いもまた、たいへんカッコ悪い問題提起であるし、いったい何が言いたいんですか? と怪しまれるような問いかけなのかもしれません。自分自身が大学院生であった1980年代以来、40年間も美学会に所属し、京大文学部で美学の教授を十年近くもつとめ、そればかりか美学会の会長までやっていながら、今さら何言ってるんですか? 先生、しっかりしてください、というような話ですよね。
けれどもあえて言うなら、こうした問いを発することができることこそ、美学会が研究の共同体として、まだかろうじて健全である証拠ではないか? と思っているのです。
「美学は何の役に立つのか?」という問いは、「美学とは何を対象としてどんな方法論で研究するのか、美学とはそもそも専門的学科(ディシプリン)として自立しているのだろうか」という問いでもあります。もちろん、美学について、それがひとつの立派な専門的学科であるかのように語ることは十分可能です。けれども思い出してみると、私は学生の頃、はじめて美学の入門書や解説書を読んだ時、非常に戸惑いました。それは近代(バウムガルテン)から始めるのであれ、また古代(ソクラテスやプラトン)から説き起こすのであれ、ひとつの自立した原理を持つ研究領域というよりも、一連の哲学的トピックやエピソードの集合のようにみえたからです。しかも、西洋近代美学の歴史において決定的に重要視されているカントが「美の学というものは存在せず、あるのは美の批判だけである」と断言している。それじゃあいったい美学とは何なのか? と思いました。
しかし今思い返してみると、美学というもののこうした不思議なあり方ゆえに、自分はそれを選んだような気もします。つまり美学とは、他の学問分野から明確に区別されうる、確固とした研究領域ではないと、私は理解しているわけです。そしてそれが美学の良いところだと思います。制度的には「専門的学科」として分類されていますが、本質的な意味ではそうではなく、むしろあらゆる知識を「専門的学科」として分類する制度化の働き自体から、ある距離を保つことができる(それが広い意味での批判、クリティークということだと思います)、その点こそが重要であると思っているわけです。だから美学的な思考とは常に、様々に異なった形態の知識や探求活動との間の、不安定で動的な関係性の内にあると考えています。
そして、そうした立ち位置を認めることが、美学の学問としてのアイデンティティではないかと思っています。つまり、そうしたあり方は欠点ではなく、むしろそれこそが本質的に重要であり、美学の存在する意味も、学問や文化一般における美学の将来的可能性も、その点にかかっていると信じているのです。
さて「何の役に立つのか」とはまた、「目的」をめぐる問いでもあります。「何の役に立つのか」という問いは一見、美学の「有用性」を問い正しているようにみえるかもしれませんが、美学はそもそもこの「有用性」という概念、つまり何かが何かの「役に立つ」という世界理解のあり方それ自体を、理論的探究の射程に入れています。そもそも、私たちが美学や芸術研究を始めるきっかけとは何でしょうか? 美的なものや芸術経験について、何か理論的なことを考えようという動機は、そもそもどこから来ているのでしょうか? それはこの世界の、手段- 目的という合理的で明示的な関係によって出来上がっているのではないような側面、言ってみれば「何のためにあるのか分からないがとても魅力的なもの」に対する、知的関心に由来するものだと思います。そうした関心を多少とも共有することが、美学のアイデンティティだと言ってもいいでしょう。
「有用性」や「目的」の観念に対する美学のこうした関係は、現代きわめて重要なものになっていると考えています。というのも、美学をはじめとする人文学の研究一般の中に、さらには私たちの社会や日常生活の全体に、今やデジタル情報テクノロジーの論理が深く浸透しているからです。それはたんにインターネットやコンピュータ技術の利用という現象だけではありません。テクノロジーの利用という側面だけに注目するなら、それはきわめて有用であり効率的なものです。そうではなく、情報テクノロジーが私たちの基本的な世界理解に及ぼしている影響、私がかつて「デジタルメディアの形而上学」と呼んだものの影響のことです。この影響は甚大です。私たちは知らず知らずのうちに、知識や経験を「データ」や「ファクト」といったモデルで、思考や推論を人工知能の挙動として考えています。というよりも、私たち自身が人工知能として思考している、と言った方がいいかもしれません。
かつては「コンピュータには何ができないか」(ヒューバート・ドレイファス, 1972)と問うことができました。これは、今から考えると牧歌的な問いのように感じられます。なぜならそこでは、機械と人間とが当たり前のように、最初から異なった存在として対峙していたからです。しかし現在では、「機械〈対〉人間」を前提する問いはもはや現実的ではなく、現実的なのはむしろ、私たちはすでに人工知能ではないのか? あるいは「ゾンビ」ではないのか?という問いだと思います。
「美的判断」や「芸術的創造」はしばしば、機械にはなしえない人間の最後の砦のように語られてきました。けれども、それらが「チューリング・テスト」(ある反応が機械によるものか人間によるものかを見抜くテスト)によって判別されるような「能力」として想定されるかぎり、やがては機械によって凌駕されるのは当然だと思います。このことによって私たちは、「人間」という枠組に拘束されない、より根源的な問題に導かれることになると思います。人工知能は人間にとって、あるいは人文学にとって脅威であるかのように語られますが、それは間違っています。人工知能によって、哲学も美学も新たな段階に入るのです。
こうした文脈において、「美学は何の役に立つのか?」という問いにとりあえず答えておくなら、美学は今後、とりわけデジタル情報技術によって激変してゆく私たちの文化のあり方について、時流に流されず根本的な仕方で思考するために、大いに役立つことは確実です。その場合、言ってみれば美学のディシプリン(専門学科)としての「弱さ」が、むしろ「強み」になりうると考えられます。
そもそも批判的・反省的な文化活動は何の役に立つのかと言えば、それは一部の研究者たちの楽しみや自己満足のためではなくて、最終的には、国家の文化的生産力をより強靭なものにすることに結びついているのです。こうしたマクロなレベルにおける知識の有用性とは、ハサミは切るのに役立つとか、パソコンの知識がこれこれの仕事に役立つといった、日常的な有用性とは異なっています。日常的な有用性の概念によって哲学や美学の有用性を考えると間違ってしまうのです。
生きたシステムはその中に一見反システム的あるいは非システム的な要素を内包することで、システム全体はより高度な強さと安定性を獲得します。生きたシステムは本質的に「ファルマコン(善と悪、毒と薬が分けられない状態)」的です。なぜそうなるのか、その因果的な機序を見通すことは必ずしも容易ではないのですが、私たちはそうした、「エコロジカルな直観」とでも言うべきものを、(いわば「ア・プリオリ」に)持っています。「役に立つ」というのはつまり「合目的性」ということですが、直接何に役立つのかという目的が明示できなくても、「合目的性」は成立するということです。(こうしたことを説明するのに、「目的なき合目的性」というカント美学の概念を徹底させることが重要です。)
〈3〉美学(会)をとりまく現状と未来
ご承知のように1990年代後半以降、美学を含む人文学あるいは文系の研究分野は、国家的政策によって非常に厳しい状況に追い詰められてきました。そこでは学問的研究が「役に立つこと」、つまり知識の「合目的性」についての間違った理解が、政治的に利用されてきました。あらためて冷静に振り返ってみるとこれは異常な事態ですが、しかし人文学系の研究が「役に立たない」として縮小されたのは、これがはじめてではありません。言うまでもなく戦時下においてそうした政策は、もっと露骨で急激な形で行われました。戦争は非常時なのだから仕方がない、という理屈でした。それではこの四半世紀、わが国は戦争をしていたわけではないのに、いったいそこにはどんな「非常時」があったのでしょうか?
それは、バブル崩壊後の経済不況に対する誤った経済政策がもたらした、慢性的なデフレーションです。そして決定的なことは、デフレ状況そのものではなく、そうしたデフレ状況をあたかも戦争のように「避けがたい危急の事態」であるかのように説明してきたやり方にあります。具体的には、現在GDP比で240%、1000兆円を越える日本国政府の債務(しばしば「国の借金」といったミスリーディングな比喩が、プロパガンダのために意図的に使われる)、少子高齢化による労働力の不足と社会保障費の肥大など、日本はもはや経済成長することはできず、既存の富を節約しガマンして凌いでいくしかないのだ(だから消費税増もやむをえない)、という雰囲気を蔓延させてきたということです。こうした傾向は、イデオロギー的な観点から見ると、いわゆる保守層において支配的であったばかりではなく、学術文化を担うインテリ層により親和性の高い、左派リベラルにおいても、同じように支配的でした。
そうした政治経済的状況はあるとしても、学問研究に関わる議論には直接関係がない、と思われるかもしれません。しかしそうではありません。おおアリだと私は思っています。世界的に知られた現象を例にあげて説明するなら、たとえば1995年のいわゆる「ソーカル事件」に端を発した「サイエンス・ウォーズ」というのがありました。日本では欧米ほど大きな問題にはなりませんでしたが、簡単に言うと、自然科学者たちがジャック・ラカンやドゥルーズ=ガタリをはじめとするいわゆる現代思想の理論家たちによる数学・科学用語の使用がデタラメで、それらを参照して書かれた論文はそもそも学術研究の名に値しない、と攻撃したことです。
自然科学者が哲学の用語法に不満を持つのは、今にはじまったことではありません。19世紀においても、自然科学者たちの多くは例えばヘーゲル哲学なんてものは中身のない戯言だと考えていました。しかし現在、科学者が哲学者をあからさまに攻撃しはじめたのは、明らかに大学での予算配分やポストの獲得という状況が背後にあるからです。つまりパイの大きさが限られているという状況があるために、異分野の既得権を奪うという闘争をはじめたのです。そうした、あまり上品とは言えない動機に基づく利権の収奪を、科学的な厳密性や知的な正統性をめぐる論争という見せかけで覆い隠したのが「サイエンス・ウォーズ」の正体です。これは、新自由主義的な政治家たちが利益を自分たちの方に誘導すべく、規制緩和などの法制度の変更を求めること、つまり政治学で言う「レントシーキング」と、基本的には同じ動機に発しています。
ここで重要なことは、こうしたレントシーカーたちの多くが、単純にワルモノではないということです。つまり彼らは、「自分たちは利害のために動いている」という自覚を持っておらず、逆に、自分たちは悪しき既得権を撤廃して世の中を良くする構造改革を行なっているのだ、という正義感からそれを実行していることです。それと同じように、フランス現代思想を攻撃してきたアラン・ソーカルをはじめとする自然科学者たちにも、おそらく自分たちが利害闘争をしているという自覚はありません。彼らは学問的な正統性や合理性の問題であると考えています。学問的な基準(だと自分たちが信じるもの)をすべての分野に適用することが「善」である、という正義感に突き動かされて議論しているのです。
自然科学や工学の規範を振りかざして、学術研究一般の持つ価値を判定するというやり方は、日本においても人文学に対する攻撃として用いられてきました。けれどもそうした攻撃は、科学研究費補助金の申請書の書式のような、一見中立的で客観的な形をとっているので、多くの人はそれを、利害に基づく攻撃だとは認識していません。日本にはサイエンス・ウォーズはないのではなくて、それは「戦争」(現代における「学部の闘い」)という形すらとることのないまま、すでに決まったこと、いわば「空気」としてまかり通ってしまった、と言ってもいいでしょう。
経済成長はもはや不可能だから既存の富の取り合いしかないという時代認識は、このように学術の異分野どうしの反目を誘発するばかりではなく、同一分野の内部にも影響を与えてきたと思います。たとえば私の属する美学会は、先述したようにこの20年あまりの間、その研究内容が驚くほど多様化しました。そのこと自体は、たいへん良いことだと思います。けれども、そのようにして多様化した研究活動どうしの間に生産的な議論が行われているかというと、残念ながらそうとは言えません。私たちはみんな、同僚がやっていることへの知的関心を失い、仲間内だけの世界に閉じこもる「オタク」になったかのようです。
人のやってることはとやかく言わない。しかしそれは「平和共存」ということとは違うのです。なぜなら自分たちが属している研究の原理的な方法や価値に関して少しでも批判的なことを言われると、議論を飛び越えて、とたんに「炎上」するからです。利害が絡まないかぎり異分野には無関心、いったん利害が絡むと議論ではなく攻撃を始める。こうしたメンタリティは、個々人の資質やモラルの問題ではなく、この何十年かの社会的状況によって作られたものだと思います。大げさなことを言えば、これは植民地主義における被支配者のメンタリティです。つまり帝国主義的な植民地経営においては、支配の側からすれば、弱いもの同士が団結せず、いつまでも互いに仲が悪い方が都合がいいということです。
私が言いたいのは、美学や美学会がこうあるべきだ、あるいはこうあるべきではない、といった提案ではありません。そうではなくて、研究の営みや知的な共同体をとり囲んでいる、これまで述べてきた社会的・歴史的な状況について、基本的な認識を共有したいという希望に過ぎません。基本的な状況認識を共有することによって、基本的な信頼と連帯感を回復したいと思うからです。信頼と連帯感がなければ、ぬるま湯のような馴れ合いか、さもなければ炎上しか起こらず、まともな議論はできません。まともな議論が行われなければ、どんな分野であれ、知的な活動は政治的にも文化的にも、どんどん弱体化されていきます。このことがまさに、現在私たちが直面している本当の危機だと思うのです。