美学会のホームページに、以下のような声明を発表しました。
日本学術会議会員任命拒否に関して
日本学術会議第25期の1部(人文社会科学分野)の新規会員として推薦された35名のうち6名が任命されなかった問題に関して、それは誰の責任において判断したのか、またその判断に至った理由について開示することを求めます。法や手続きに関する細かな議論以前に、本件はこの種の人事過程の「常識」からして異常な事態であり、また大きな社会的影響を持つことから、任命主体には理由を公開する責任があります。その上でもしもその理由が不正なものであれば、関係者に謝罪の上再任命すべきであると考えます。
美学会会長 吉岡洋
10月1日から3日まで開催された先週の日本学術会議総会の後半が、ちょうど美学会全国大会と重なっていて、ぼくは総会は初日の10月1日しか出席できず、その日に京都に帰って、翌日の美学会合同委員会、3日、4日の研究発表(広島大学主催だが全てオンライン)に参加しました。大会最終日の4日、閉会の辞が終了した後、残れる人は残ってこの問題について意見交換をする場を設けてもらいました。
そこで美学会会員の方々に話を聞いたのですが、権力による学問の自由の明らかな侵害であり断固として抗議すべきであるという意見から、学会は政治的な問題に関与しない方がいいのではという立場まで、実に様々でした。率直な意見を聞かせてくれて、発言者全員に感謝しています。
任命拒否の理由を求めるべきという点においては、そこに参加したほとんどの人が同意したようでもありましたが、そもそもこの意見交換会に参加しない会員も多く、「学会」として声明を出すことは避け、会長名で出すことにしました。学会のホームページに出すのだから、まあ同じようなことなのかもしれないが、この声明の文言については、会員全員の合意が取れているわけではなく、責任はもっぱら会長である吉岡にあります。
美学や芸術研究に関わる者として、手続きや法に基づいた論難をしたり、「学問の自由」という理念を掲げる以前に、こんなことは誰がどう見てもおかしいという「直感」を、この声明の趣旨としました。こんな異常な決定をしたからには、政権は学術会議に対してはもちろん、全国民に向かってその理由を明確に説明すべきです。国家の行政を司る者として、当たり前だと思います。
「この種の人事」とか「常識」といった言い方を選びましたが、これは簡潔に表現するためであって、誤魔化しているわけではありません。「この種の人事」というのは任命者が実質的な選考を行うための知識を持たず、その知識を持つ推薦者たちの判断を事実上踏襲する人事という意味です。そうした人事は特殊な例ではなく、社会において極めて一般的なものです。
もちろん専門的な観点からではなく、候補者の人格や素行などを理由に任命者が不適格と判定し、任命をしないことはあり得ます。一般には候補者のプライバシーを尊重してその理由を公表しないこともありますが、学術会議は公共性が高く、人事判断は大きな社会的影響を持つのですから、任命者は納得できる理由の開示をする義務があると考えます。
この声明を起草した経緯と趣旨について説明するためにこれを書きました。ちょっといつもと文章の感じが違いますが、美学会の代表者として話しているからですね。自分が書いたものとはいえ、上のような「声明」の下に作文すると、何だか調子が変になります。次回からはまた普通の(?)文体に戻ります。