このタイトルで書くのはこれで最後にしたいと思います。前記事の最後に書いたように、日本学術会議の会員任命拒否に関しては、その理由の開示についてはしつこく求めていくべきだけれども、それは現在この国が直面している最重要問題ではないからです。けれども過去2つの記事が数日間で10万回近く読まれ、様々な反応が来ているので、それについてまとめてお答えしておきたいと思います。
全体としては賛同を示していただいた方が圧倒的に多いのですが、もちろんネガティブな意見もありました。それも大切だと思っています。ネガティブな意見の大半は、今まさに権力によって学問の自由が侵害されようとしているのに、あなたは何を呑気なこと言ってるんだ! というようなお叱りです。これをきっかけに今こそ政権に打撃を与えるチャンスなのに、学術会議の人文系会員であるいわば当事者が、なんで水をさすようなことを言うのか? と。
それは言論の自由があるからです。せっかくこんなに盛り上がっているのに白けたことを言うなと言われても、無理に同調するのは気持ちが悪い。ぼくだって殺すゾと脅されたらどうするか分かりませんが、今のところそれはないので、自分が感じていることを率直に言いたいのです。すなわち、任命拒否は闘うべき最重要問題ではなく、政権が現在進めている諸政策がもたらすであろう、はるかに深刻な事態(国民のさらなる貧困化)から目を逸らさせるために、意図的に仕掛けられたスキャンダルである可能性が極めて高い、ということです。
ここまで大ごとになるとは政権も予想していなかっただろう、といった論調がありますが、そんなことはないと思います。これは完全に計画されたことです。むしろ予想以上に成功したと思っているのではないか。学術会議みたいな既得権益集団は潰してしまえ!というような世論が高まれば、長年政権にとって邪魔だったこの組織を本当に廃止することもできるかもしれませんからね。任命拒否の理由についてちゃんと答えられないのも織り込み済みで、しどろもどろに不可解な理由を述べることになろうが、そんなことはたぶんどうでもいいと考えているのです。答弁の際の、菅総理や加藤官房長官の顔をよく見てください。あれは人間が本当に狼狽えている時の表情ではありません。
こういうことを言うと、なんとひねくれたものの見方だろうと思う人もいるかもしれません。たしかに「権力が自分にとって不都合なことを言う学者を弾圧している」といった見方のほうが、とてもシンプルで分かりやすい。でも、あまりに分かりやすすぎて、ぼくには現実感がないのです。フィクションであればそれでもいいでしょう。『半沢直樹』みたいな感じです(観てないけど)。ぼくはけっして、わざとひねくれた解釈を提示して人を感心させよう等という野心から言っているのではなく、現実の政治権力というのは、これくらいのことは平気でやると考えているだけなのです。
安倍総理の時代もそうでしたが、左翼系の知識人やメディアは支配者の個人的な知識や人格を攻撃します。漢字が読めないとか、歴史的知識がないとか、道徳的に不誠実であるとかいったことですね。しかしぼくはこれまで、無知であるとか不道徳であることを理由に支配者が打倒された事例を知りません。ということは支配者の側からすれば、こんなキャンペーンは通じない、知識や道徳の欠如を理由にどんなに責められても、痛くも痒くもないということです。政治家の資質は、権力を支える状況の複雑な流れを素早く読み切るある種の「直感」にあります。「美学」と言ってもいいかもしれません。政治家が失脚するのはそれを失なった時です。
それに対して、学者というのは一般にナイーブ(世間知らず)です。民主的な国家なら、理路を正せばどんな権力もねじ伏せられるはずだと信じているのです。そして学者の多くは、自分の知識や徳性の欠陥を指摘されると本当に傷つきます。だから政治家と学者が政治的な場で戦ったら、ふつう学者は敗北します。そして、それでいいのです。そういうナイーブな存在も、健全な国家には不可欠だからです。国家にとって学者という存在が必要なのは、その研究成果が有用だからではなくて、彼らの言うことが「面白い」からです。「面白い」というのは世界観の共有ということであり、これが学問が社会に対して持つ本質的な意味です。
最初の記事の終わりに書いた「絶望的」という言葉に反応して、「やっぱり絶望的なのかー」という反応もありましたが、ぼくは絶望を口にできること自体は、けっして絶望的だとは思っていません。自分のこの拙い思考を予想外の数の方に読んでいただいているのは、たんに時事的な関心からだけでもないようにも思えます。老練な政治家といえども、あるいは老練であるがゆえに、ネットや人々の日常会話の中で徐々に拡散してゆく動向、とりわけ若い世代の人々の思考の変化を、完全に読み切れているわけではありません。そうした変化は最初は目立たないものですが、ある臨界点を越えると顕在化してきます。その時こそ、支配者たちが本当に狼狽える時でしょう。