私が文学研究科に着任したのは二〇〇六年一〇月である。それまでの六年半、岐阜県大垣市にある情報科学芸術大学院大学というところに勤務していた。この大学は日本国内では一般に知られていないが、メディアアート、つまりデジタル情報技術を利用した芸術制作を中心とした、単科独立の大学院大学である。学生数は一学年わずか二〇名で、工学系、芸術系、人文系、その他多様な学歴・職歴を持った人たちが集まっていた。年齢層も二〇代から六〇代にわたり、出身国も実に多様であった。
そういうわけで、文学研究科に移った当初はあまりの環境の違いに戸惑うことも少なくなかったが、その一つが授業の雰囲気だった。まず学生数が多い。美学講義は百名を超える登録者があったが、毎週そんなに多くの学生の顔を見ながら話すことは、以前に私立大学のマンモス授業を経験したとはいえ、しばらくやっていなかった。また年齢層がほぼ同じで、知識や関心の方向も比較的似通っている。そして日本人が圧倒的に多く、留学生も日本語能力が高いので、講義は全て日本語で行うことになった。
私は基本的に授業をするのは好きで、他のことでストレスを感じるような時でも、授業をしていると心が落ち着く。それはまあ、好きなことをしゃべっているからなのだが、学生たちの反応を知るのもまた楽しいのである。突拍子もない質問を受けたり、時々は内心ドキリとさせられるような反論がある(悔しいので顔には出さないが)。けれど京大に来てからは、学生たちがほとんど反応しないな、と感じていた。難しい話をしてもとても熱心に聞いてくれるのだが、質問も反論もあまりない。レポートを書かせると授業の内容はちゃんと理解している。とても従順で、お利口さんなのである。
つまり普通の意味では「いい学生」たちなのだが、私はちょっと困ったなとも思った。この子たちは本当は、もっとちゃんと勉強したいのではないだろうか? 私は自分自身の経験から、大学の授業なんてものはそこでコツコツ勉強するような場所ではなくて、むしろ驚いたり刺激を受けたりして自分が勉強するキッカケになるからこそ値打ちがあるのだと思ってきたけれど、そんな考えはもう時代遅れで、今は必要な知識を効率的に習得できるような授業を、学生たちは求めているのではないだろうか?
そう考えてある年、自分ではあまり面白くないなあと思いながらも、一般的に美学や芸術学と呼ばれている分野の基礎的な知識や、現代芸術を理解し議論するための基本用語などを、整理して解説するような講義を試みたこともある。それでも学生たちは同じように熱心に聞いてくれたし、授業の雰囲気自体はそれほど変化したようには思えなかった。だが、夏休み前の最後の時間に授業に対する要望や感想を書かせてみたところ、その中に次のようなコメントを見つけて衝撃を受けた。「先生は無理なさらないで、講義では好きなことをお話しください。勉強なんて自分たちで勝手にやりますから。」
他にも同じような趣旨のコメントがあった。私が無理していたのは、ちゃんと見抜かれていたのである。恥ずかしく感じると同時に、「もっと学生の勉強になるような講義をしなければ」などと考えてしまった自分の浅はかさを悔いた。それ以来、私が「学生のタメになる」だろうと思うような授業をするのは、一切やめることにした。なぜならそんなことをしても、結局学生のタメにはならないからである。
講義には次第に外部からも聴講に来る人が増えてきた。聴講生ではなく、いわゆる「モグリ」の学生である。他学部、他大学の学生や教員、アーティストや美術関係者などだった。今のご時世では大きな声で言えないのかもしれないが、私は正規の学生たちに迷惑がかからない限り、モグリの聴講を黙認していた。このことで教室には多様な雰囲気が生まれたが、京大の学生たちは迷惑がるどころかそれを楽しんでいたことが、これも後で感想を聞いて分かった。
いつからか「授業アンケート」なるものも課せられるようになったが、学生たちは自由記述欄に「こんな授業評価をすること自体京大文学部らしくないからやめてほしい」などと書いてくる。それは至極もっともなことだと思った。私が着任した二〇〇六年から退職した昨年度までの約十年の間にも大学のあり方は大きく変質したが、授業という現場で実感してきたことは、学生たちは概ね、きわめて健全だということである。健全でなかったのは、「時代が違うから」とか「学生のタメに」とか、つまらない思い込みで無理をしてしまった私自身の方であった。
【京大文学部の同窓会誌『以文』】