今年も室井尚さんのおかげで、横浜国立大学での年末集中講義に呼んでもらった。といっても場所は大学ではなく、みなとみらいにある日本丸訓練センターという所である。クリスマスイヴを挟んだ4日間で、2年前は馬車道をそぞろ歩くリア充カップルを窓の外に眺めながらみんなで「幸福とは何か? 」を哲学するという、なかなかオツな(笑)趣向であった。さて、今年の講義テーマは「戦争と文明」である。室井さんもずっと参加してくれ、2日目午後には友人のUCLA教授エルキ・フータモが「メディアと戦争」という特別講義もしてくれて、ハードだが楽しい4日間だった。講義の全体をまとめる余裕はとてもないが、いくつかの重要なポイントについて覚書のように記しておきたい。
まず戦争について考える出発点は、「戦争はイケナイ」「戦争ハンタイ」という定型句の苦しさである。これは今にはじまったことではなく、ぼくの若い頃でも同じだった。たとえば「戦争を知らない子供たち」というのがあって、高校の文化祭後のキャンプファイアーなどでは必ず歌う約束になっていた。北山修の作詞でジローズという関西のフォークグループが歌ってヒットした曲である。歌詞は、戦後世代の自然な平和主義的心情と連帯感を讃える他愛ない内容なのだが、ぼくはこれをみんなと一緒に歌うことができなかった。抵抗を感じた理由はふたつあった。ひとつはそこでは戦争が「もはや過去のもの」として歌われていることだった。朝鮮戦争も中東戦争もベトナム戦争もあるのに「戦争が終わってぼくらは生まれた」なんて、自分の国の太平洋戦争のことしか考えてないように感じたからだ。もうひとつは「戦争を知らなければ自然に人間は平和的になる」というような印象のためである。だったら、たまたま戦争の時代に生を受けたぼくの母のような人は単に不運だったことになり、たまたま戦後の高度成長期に育ったぼくらは戦争を知らずに幸運だったということなる。そんな偶然的な事情による世代的連帯なんて、絶対に受けいれることができなかった。
横浜の講義初日には、学生たちの多くが小学校、中学校の時に戦争経験者や、広島・長崎の被爆者の「語り部」たちによる、平和教育の授業を受けた経験を持つことを知った。そうした授業がなぜ平和教育になるのかというと、戦争の恐ろしさを伝えれば人間は自然に平和主義的になるだろうという思い込みがあるからである。それはちょうど昔、地獄絵図を見せて説教することで、あの世でこんな責め苦を受けないためにこの世では善行に勤めましょう、と教えるようなものだ。意味がないとは思わないが、怖がらせて子供たちをある思想に誘導するということには、なんだか粗っぽいというか、自分のしていることを十分考えていない、不真面目な動機を感じる。そして体験者たちの語る生々しい話に対して、ふつう子供たちは言い返す言葉を持たない。「平和で豊かな時代に生きる私たちには想像もできない。二度とそんなことが起こらないようにしなければならない、云々」と感想文に書くしかないのである。戦争や原爆の悲惨さを展示する記念館などに生徒たちを連れて行くのも、同じようなことだろう。ようするに子供たちは、沈黙を強いられるのである。
けれど考えてみると、かつて人々が戦争に駆り立てられたのも、主として恐怖を見せつけられることによってであった。外敵の恐怖、国内における経済危機、何か思い切ったことをしなければ大変なことになるぞ、という扇動によって、これは戦争しかないと思い込むことになったのである。異なる意見を持つ人がいても、恐怖と危機の現実を目の当たりに見せつけられて、沈黙せざるをえなくなった。恐怖による扇動は戦争へと人を導くための有効な手段だった。もしも戦争の恐怖を見せつけることで人を平和へと導くのが「平和教育」だとすれば、たとえ名目上の目的は正反対であれ、それてまた教育者自身は夢にも思っていないにせよ、それは何かとても見当はずれな、真逆のことをしていることに、なりはしないだろうか? 恐怖と悲惨がもたらす情動的な(暴)力に頼って人を反戦へと教化しようとするのは、実はそれ自体が何か戦争のようなことをしているのではないだろうか?
こういう平和教育の苦しさから逃れるひとつのきっかけは、もちろん戦争を肯定するのではないにせよ、戦争が持つ人をワクワクさせる側面、巨大な破壊行為や大変動に対して興奮する人間の心情、つまり戦争の「面白さ」を認めることである。戦争は、時代情勢に追い詰められて仕方なくやったのではなく、「面白い」からやったという面が確かにある。なぜなら、戦争は通常の政治のように合理的推論によって計画できるものではないからであり、一種の「賭け」だからだ。つまりケンカと同じで、強いものが必ず勝つとは限らないし、奇襲とか、気概とか、敵の裏をかく狡智とか、予測不能な動因がモノを言う世界なのである。面白いに決まっているのだ。そのことを、クラウゼウィッツの『戦争論』の思想を紹介しながら議論した。この本はナポレオン戦争とその後のプロイセン軍大改革という歴史的文脈で書かれたものだが、特定の時代に限定されるものではなく近代以降の戦争の本質を掴んでおり、20世紀の戦争について考えるときにも大いに参考になる。
今は手軽な文庫本で手に入るアインシュタインとフロイトの往復書簡『ひとはなぜ戦争をするのか』については詳しく触れる余裕がなかったのでここで補足しておく。この書簡は、国際連盟がアインシュタインに依頼した企画で、現代の人類文明における最大の問題を誰かと手紙で議論してくれ、というお題に応じて、彼が「人間を戦争というくびきから解き放つことはできるのか? 」というビッグ・クエスチョンを、フロイトに投げかけたものである。それは1932年のことなのだが、これを読むと、第一次世界大戦による大破壊に衝撃を受けた知識人たちの、理想主義的な平和思想とペシミスティックな現実認識との間に引き裂かれた切実な心情と不安がよくわかる。世界大戦は終わったのではなく歪みを残したまま無理やり終結させられただけなので、それは近々また爆発するだろうという不穏な気分が、1920年代から30年代初頭にかけてのヨーロッパ知識人の間に(表面的には今よりも素朴に理想主義的な語り方をしていても)深く共有されていたと思う。
とりわけフロイトはペシミスティックである。戦争は人間の攻撃性、破壊衝動が集団化することによって生み出されるものだが、攻撃性や破壊衝動は人間にとって本性的なものであり、取り去ることのできないものだと彼は考える。この時期のフロイトはエロス(生の衝動)と共にタナトス(死の衝動)の存在を認めており、しかも両者は互いに絡み合っていて分離することはできないと考えている。手紙の最後では、戦争を克服する唯一の希望は文化の力であると言っているのだが、これは決して平和の大切さを教えれば戦争は回避できるなどという意味ではない。文化とはフロイトの精神分析理論からすれば、自然から脱落した人間の決定的な「弱み」なのであり、手放しで賞賛できるものではない。文化はたしかに戦争の野蛮を忌避する方向に進んでいるが、それによって人類が戦争から解放されるには、どれだけ長い時間がかかるか(「ノロノロ回る製粉機を待っている人が、パンが出来る前に飢え死にしてしまう」)‥‥とフロイトは言う。これは絶望の表明に聞こえる。あのアインシュタインに質問されたのだから、何とかポジティヴに結んでおきたいと、とジグムントおじさんはがんばったんだけど、これが精一杯という感じじゃないかな。
ただ、文化による戦争の回避というフロイトの答えはまったく絶望的なわけでもない、とぼくは思うのである。たとえば彼は自分の文化概念をアインシュタインに説明する中で、文化が発展すると人間の自然な性機能は損なわれ、だんだん人口は減少し、人類は滅亡の危機に瀕するかもしれないなどと言っている。これが先述した、文化の自然に対する「弱み」である。この「弱み」が戦争の克服に役立つということである。このことは、戦争という現象を人口動態から説明しようとするフランスの社会学者・ガストン・ブートゥールの考え方と結びつければ、非常に興味深い仕方で理解することができる。それで集中講義の最終日には、文明の発達と共に暴力は減少してきたと主張するスティーヴン・ピンカーの議論を批判することと並んで、ブートゥールの戦争論の説明にかなりの時間を割いた。
ブートゥールによれば、戦争とは人間の集団が増えすぎた人口を調整する手段のひとつである。農耕革命によって人口が爆発的に増加するという危機に直面した人類は、幼児虐殺や間引きをはじめとする様々な方法によって、人口調節を行なってきた。産業革命による生産量の増大はその最も最近の人口危機であり、近代的な戦争は生殖能力を持つ若い男を大量に動員し戦死させることで、調整機能を担ってきた。これは戦争を起こす為政者たちの政治的判断とは関係がない。むしろそうした判断は、人口動態のひとつの結果として誘導されるにすぎないとも考えられる。若者人口が全人口に占める比率が高まると、戦争が起こりやすくなるとも言える。事実、1940年の段階で、若者人口の比率が特に高かった近代国家は、ドイツ、イタリア、日本であった。ベトナム戦争もアメリカの戦後ベビーブーマーが若者であった時に発生し、彼らがもはや若者ではなくなった1975年に終了する。日本も戦後団塊世代が戦争に動員させずに済んだのは、経済行動成長期であり若者たちに豊富な職場が供給されたからである。ぼくはかつて、日本の「モーレツ・サラリーマン」のセルフイメージが想像力のレベルでは「サムライ」や「戦士」と同一視されていることを議論したことがあるが、ある意味では高度成長期の企業社会とはまさに戦争の代理にほかならなかったのである。
もしも戦争が人口調整機能であるなら、戦争を回避するには人口を増やしすぎないことが大切である。現代日本の少子化、若者の減少という「問題」は、そうした意味ではまったく正しい平和への選択だということになる。子供が産まれすぎないように、昔は宗教的・道徳的規範によって、結婚やセックスを厳格に管理していた。それに比べると、現代の若者たちは(クリスマスの横浜を見ても分かるように)きわめて自由であるように思える。はたしてそれは、封建的な倫理規範が弱まり、大人たちが若者の性行動に対して寛容になったということだろうか? ブートゥール的な視点からすれば、それはおそらく、性知識の普及や避妊具の一般化によって、避妊の成功率が高まったからにすぎないだろう。拍子抜けするほどマテリアリスティックかもしれないが、このような見方も重要であると思うのだ。ブートゥールの説をすべて鵜呑みにする気はないのだが、戦争と平和をめぐって闘わされてきた精神主義的、あまりにも精神主義的な議論による硬直から、私たちの身体を解毒するためには、とりわけ重要だと思うのである。