今週から、もう一度京都精華大学の教室に行って講義することにした。
学生に聞くと、大半は完全オンラインの方がいいと言うのだが、やはり対面の講義がいいという意見もあり、考えた結果、現地でオンライン併用ということにした。だがこれは、単に自分の研究室からオンライン講義をするのに比べると、教員にとっての負担が激増する。オンラインと、教室でのプロジェクター等への接続と、現地に来ている学生たちとの対面的なやりとりと、全部を一人でやらなければならない。
そういうことに注意力を削がれてしまい、実際の話は早口になり、講義のクオリティは落ちる。終わった後、ああやっぱりうまく行かなかったという不快な疲労感があって、うまく眠ることができない。
そういう愚痴はともかく、内容について。
まず「陰翳礼讃」に対する戦後の桑原武夫の反応を紹介した。桑原はまず、「陰翳」を「インエイ」と言ってバカにする。漢語をあえてカタカナ書きすることで、その語が持つ重厚な意味から距離を取ろうとするレトリックは、この頃から始まったのかな。いずれにせよ、共感できない。芸者さん自身が「薄くらがりが美しいなんて私たちは思ったことはない、電灯を付けてほしい」と言ってたよ、などと反論するのは本当にいただけない。芸者さんはそもそも「陰翳が美しいかどうか」なんて学者みたいな思考はしない。こんなの誘導尋問だよね。芸者をバカにするな、と言いたい。
そもそも、戦後すぐにこの人が書いて物議をかもした「第二芸術」というのが本当にくだらない。これは西洋基準の詩とか日本の俳句とか、単に「ジャンル」で考えており、そんなことで第一とか第二とか決めても何の意味もないが、でも占領期のこの時代には、こうした素朴な近代主義が政治的な力を持ったのだろうな、ということは想像できる。ようするに「アカ狩り」みたいなもんだね。
そんなのよりずっと面白かった話題は「お歯黒」だ。昔の日本人は口の中にまで「闇」を作った、という極論には到底納得できないけど、明治の後半から、お歯黒を醜く異常なことだと感じる視覚が広がったのは、西洋的な調性に同化しえない邦楽を気持ちが悪いと感じる聴覚が広がったのと同様、大きな文化的断絶が明治中期に起こったということを想像させる。
それから、昔の日本人の女には「身体がなかった」という議論や、眉を剃ってオデコに眉を描く(引眉)のことや、唇の上下に異なった色の口紅を塗って玉虫色の効果を出すということ。これは、ちょっと現代でも誰か試してみてほしい。そうした話題から、そもそも現生人類には眉や唇がなぜあるのか? という進化生物学的な話もして、デズモンド・モリスの『裸のサル』を紹介した。
あとは、竹林夢想庵のこととか、1922年に改造社がなぜアインシュタインを日本に招待したのかとか、それからこの「陰翳礼讃」で知られるようになった、柿の葉寿司のことから、そもそも寿司(鮨)とはいかなるものか、動物性タンパク質を乳酸発酵によって長期保存する伝統について話をした。
そういう感じで、精華大学の教室におけるオンライン併用の講義は終了。疲れた。