京都精華大学のオンライン講義は、谷崎潤一郎の後、梶井基次郎の作品を読みながら、いろいろ考えてゆくということで継続している。
先週は、「闇の絵巻」と「愛撫」について話した。今日は「ある崖上の感情」を取り上げた。
「闇の絵巻」は、梶井が結核の療養のために、伊豆の湯ヶ島温泉に逗留していたときの経験を元にした作品である。同じく伊豆に逗留して執筆していた二歳年上の川端康成の手伝いをして、そこから自分の宿に帰るまでの道を描写したものである。
「愛撫」は幻想的な小品で、夢の中に現れる女と猫、そして猫の足の裏をまぶたに当てるという印象的な結末で有名であり、つげ義春の漫画「やなぎ屋主人」などにも引用されている。
「ある崖上の感情」は、梶井が三高の理科をやっとのことで卒業して東京帝国大学の英文に入り(志願者が少なく無試験だったらしい)、麻布の飯倉片町近辺に下宿していた時の経験をもとにした作品である。
「カフェー」で二人の青年が交わす会話から始まるのだが、まず昭和初期の「カフェー」とはどういう場所であったのか、ということから話した。「カフェー」は今の明るくおしゃれな「カフェ」とは全く異なり、バーやキャバレー、風俗との境界が曖昧な、陰影に富んだ場所であった。
それから、最初の方で登場人物の青年のひとりが、カフェーの女給に止めさせる「キャラバン」というジャズのレコード。これは長らく、有名なデューク・エリントンの「キャラバン」かと思っていたが、「キャラバン」の初演は1936年であり、この小説や梶井の死の後である。
おかしいなと思って調べたら、1920年に発表された”Karavan”という別なジャズ曲があった。こちらは冒頭にエキゾチックな旋律を利用した、全く異なった印象の作品である。梶井基次郎が知っていてこの小説で言及したのはこちらの方だろう。
それはともかく、1920年代、30年代というのは、第一次世界大戦を経験したヨーロッパ経由で、日本でも北アフリカやアラブ世界に対するロマンティックな憧れが、大衆文化の中にも浸透してきた時代である。キャラバンとか、砂漠とかいったイメージが、童謡のような世界にも入ってきた。
その一例が、『少女倶楽部』に掲載された加藤まさをの絵物語に起因して音楽化された「月の砂漠」である。これはぼくの祖母もよく歌っていたのでとても鮮明に記憶している。オリジナルの柳井はるみをはじめ、YouTubeにいろんな人が歌った音源があるので久しぶりに聴いてみた。
聴けば聴くほど、美しいが不思議な世界である。この「砂漠」はどこなのか? 同時に「砂丘」とも呼ばれているので、日本の海岸かとも思う。加藤は梶井と同じく、結核の療養のため千葉県の御宿海岸に逗留しており、その風景からインスピレーションを受けたということは十分考えられる。
しかし「砂漠」である。そしてラクダであり、王子様とお姫様である。その背後には明らかに、ヨーロッパのオリエンタリズムが感じられるのだが、それが日本の少女文化的にフンワリとロマン化されている。
ほんとに「王子様」と「お姫様」だったら、家来やお付きの人が誰もついて来ないで二人だけ、というのはあまりに不自然というか、危険ではないか。だとすると、この二人はワケありで、対立する王族同士に属する恋人で、仕方なく逃げてきた?
曲調も悲しいし、二人の行く末に明るい未来があるようには思えない。どちらかというと、浄瑠璃の心中ものの最後にある、死への絶望的な道行のようである。でもある意味、だから受け入れられたのかもしれないな、とも思う。
それにしても、いつまでこんなオンライン講義を続けなければいけないのだろう。この道行の果ても五里霧中である。
来週は梶井基次郎シリーズの最後として、「Kの昇天」について話します。