亡くなられた藤田紘一郎先生には、いろんなことを教えていただいた。
藤田先生は寄生虫学を専門にする医学者であり、出身大学も働いていた場所も専門も違うのに、どうしてぼくなんかと接点があるのか、と思う人もいるかもしれない。
ぼくは2000年に始まった京都芸術センターから刊行されていた、『ダイアテキスト』という季刊の批評誌の編集長をしていた。この本は、毎回テーマを設定して巻頭でいろんな人との対談を掲載していたのだが、その第6号が「パラサイト・パラダイス」というテーマだった。巻頭では戸川純さんを京都にお呼びして、彼女の曲(「昆虫群」など)に登場する「虫」の話をした。
それ以外でぜひお話をしてみたかったのが、藤田紘一郎さんだった。というのも、日本人の身体から寄生虫が駆除されると共に花粉症等の免疫性疾患が増加してきたという彼の主張や、そこから導かれる過剰な「キレイ社会」への批判にも共感していたが、何よりもそうしたことを証明すべく自分自身の腸の中でサナダムシを飼いそれに「サトミちゃん」と名付けたりしているのを知り、これはどういう人なのかと興味を持ったからである。
それで、東京医科歯科大学の研究室にお邪魔して、カイチュウやギョウチュウ、サナダムシなどの標本のガラス瓶が並ぶ研究室の中で、お話をうかがうことになった。
世代的には一回り以上違い、彼は少年時代を三重県の田舎で過ごし、ぼくは京都の下町で過ごしたのだが、「吉岡さん、検便による寄生虫検査で、小学校のクラスの陽性者率はどれくらいでしたか?」と訊かれた。そうですね、30%くらいだったかなと答えると、私の小学校では100%でした、と言われた。100%だったら検査する必要ないじゃないですか(笑)と答えると、そうなんですが、虫くだしの日というのがあって、吉岡さんの頃はもう錠剤でしょうが、私の頃は海人草というのを煮詰めて、その煮汁を飲まされた、すると頭がぼーっとして勉強もできずその日は休校になるから子供たちは喜んでました、と。
そしてその後の話が面白くて、虫くだしの効果でお尻から出てきた回虫を引っ張り出して水で洗い、あくる日の学校では、長さでは誰が一番、数では誰が一番と競っていました、というのである。これにはさすがにビックリした。ぼくの小学校時代も、3割くらいは回虫持ちだったから、そのことでイジメられるようなことなかったけれど、お尻から出てきた寄生虫を比べあう、みたいなワイルドなことは想像できなかったからである。
もうひとつ忘れられないのは、肥溜めに落ちるという話である。彼はやはり三重県の子供時代、ガキ大将に追いかけられて肥溜めに落としてやろうと誘導し、自分が落ちてしまった。それを見られたのであくる日学校でからかわれるのを心配していたら、そのガキ大将は「お前は生意気だから一発殴ってやろうかと思ったけど、肥溜めに落とすつもりはなかった、すまん」と謝られたいうのである。
この話に引きずられて、ぼくも自分の思い出を話した。自慢じゃないが(笑)、ぼくも小学校3年生の時、近所の肥溜めに落ちたことがある。ぼくは背丈ばかり大きくて勉強もできないノロマな子だったので、近所の子にいじめられ、逃げる途中で落ちたのだった。やはりあくる日学校でからかわれるのではないかと不安だったが、何も言われなかった。子供たちにとって、肥溜めに落ちるのはあまりに重大な事故であるため、からかうこともできなかったのだろうか?
しかし泣きながら家に帰って行水のタライで洗ってもらって、近所の暦などに詳しい整骨医のところに連れて行かれ、名前を変えなければいけないと言われた。これが一番ショックだった。そんなに重大な不幸に遭遇してしまったのか、と(変えなかったが)。藤田先生は、昔だったらそういうこともありますね、と言いながら楽しそうに聞いておられた。
なんだか、藤田先生とはそういうビロウな話を笑いながら言い合っていたのが楽しかった、ということを一番思い出すのだけれど、今から思い返すと、彼は昔のお医者さんで、ぼくは診てもらったことはないのだけど、安心できるというか、頼りになるなあと感じていた、という印象がある。
昔のお医者さんだって、もちろん何もかも分かっていたわけではないけれど、桂枝雀さんの落語に出てくるお医者さんみたいに、「大丈夫、大丈夫」と言っていたのである。それはいい加減な言葉かもしれないけれど、患者を安心させるのがとにかく医者の第一のつとめだという、暗黙の了解があったような気がする。医者は尊敬されており、「大丈夫じゃなかったら、どうしてくれるんですか」というような患者もあまりいなかったからか。
今のお医者さんはその反対で、「‥‥のリスクがある」というようなことしか言わない。それは、客観的には正しいのかもしれないけれど、その言葉は患者に不安を増すだけである。でもお医者の方にも、責任がとれないのに「大丈夫、大丈夫」などと言ってはいけない、というような縛りがある。学校の先生と同様、医者も以前ほど尊敬されておらず、専門的知識や技術を提供するサービス業だと思われている。時代が違うというか、仕方がないといえば仕方がないのかもしれないが。
でも自分が死ぬ時には、いくら正しくても「〇〇のリスクがある」「××のリスクがある」と患者を脅しながら、飲みきれないような薬を処方して僅かの時間延命させてくれるようなお医者ではなくて、やはり藤田先生のように、それで死期は少々早まっても「大丈夫、大丈夫」と言ってくれるお医者にかかって死にたいものだ、と本当に思う。