本日(12月23日)は、関西学院大学の大学院「美学特殊講義3」の今年度最終の講義であった。少人数なので後期は対面の授業を行ったが、そういえば前期の「美学特殊講義1」は、このブログを使ってテキストの配信でやったなあ、と思い出した。公開のブログだから誰でも見られるし、後からいつでも見られる。今から振り返ると当時の記録としてもなかなか面白い。
それで、後期も最後に授業について何か書き記しておきたいと思った。最後の回は講義といっても、お菓子を食べながら溝口健二の映画『赤線地帯』を観て、少し話をするという内容だった。毎年末最後の講義は質疑応答や議論をして、その後は忘年会をしていたのだが、今年は忘年会はできないので、授業をこういう趣向にしてみた。
「美学特殊講義3」は映画の講義ではない。ではどうしてこの映画を観ることになったかというと、それもまた成り行きであった。
9月末の後期最初の回に、何の話をして欲しいか希望を聞いてみた(シラバスは完全に無視)。それで、まず希望のあったユダヤ教や現代文化におけるユダヤ文化の影響といった話をしたのだが、あんまり面白くない。
その後18世紀ヨーロッパの古典美学、美と崇高の概念について少し紹介して(このあたりがいちばん普通に「美学」らしい)。それから10月後半には京大で参加した(その後炎上した)「緊縛ニューウェーブ」のシンポジウムでの講演「縄と蛇」をめぐって、蛇にまつわる日本の民俗学やヴァールブルグの『蛇儀礼』について、非公開の対面講義でしかできない話をした。
11月にはスティーヴン・グリーンブラットの『1417年、その一冊がすべてを変えた』という本を紹介しながら、エピクロス主義や原子論の再発見がどのようにルネサンスや近代科学に影響を与えたか、といった話をして、その議論の流れで、最後には何故か(たぶん「日本学術会議問題」について聞かれたあたりから)日本の近代とは何か、とりわけ「戦後」とは何だったのか、という話題に移り、三島由紀夫の自決五十周年ということもあって、『金閣寺』を再読し、そのテーマである「美」って一体なんなのかを考えた。
そこから『鏡子の家』も読んで、背景にある1950年代の歴史状況、デカダンな文化、「アプレゲール犯罪」、実際の金閣寺焼失の顛末、そして生八つ橋のネーミングにも使われた水上勉『五番町夕霧楼』の話になって、ぼくが生まれた1956年に公布された売春防止法によって終止符を打たれる日本の遊郭文化、というような話題から、最後は同年8月に亡くなった溝口健二の遺作であるこの映画を観て終わろう、ということになったのだった。
この作品、久しぶりに観たけど面白いね。これは吉原の話だけど、子供の頃見た京都の風景を彷彿させる。もちろんぼくが物心つく頃には、遊郭そのものは非合法になっているわけだけれども、それがあった街並みや建物はまだ残っていたし、かつてお店に出ていた女たちも通っていた男たちも近所に住んでいたし、子供に聴かせてはいけない話もいろいろ聴いた。いやらしい話よりも怖い話の方が多かった。
いやー、前期もそうだったけど本当に行き当たりばったりの、その時に学生が関心を示し、ぼくが面白いと思った方向ならどこにでも行く授業であった。今どきの日本の大学院でこんな講義をしている先生が何人くらいるのか知らないが、ぼくにとって大学院の美学の講義というのはこういうものであって、またこういうものでなければやる気がしないのである。そして、こういう授業が許されなくなった時が、たぶん大学が終わる時なのだと思っている。