【Q1】CMで自動運転や自動ブレーキを売りにする車を見るにつけ、運転の楽しみが取られているように感じます。AIの成長で、人は何をすれば良いのでしょう。
【Q2】経済の成長、成長産業押しな社会。ずーっと成長するって必要なんでしょうか。つくるばっかりでメンテナンスしない。メンテナンスの面白さに成長を見出した方が良いのではないかと思うんです。
【A1】古い話だがぼくの世代では、自動車免許はマニュアル車で取るのが普通で、当時は新しいオートマ限定という免許もありました。マニュアルで取ればオートマも運転できるので、ぼくはレンタカーで初めてオートマ車を運転した時、おお、これは! とびっくりしました。非常に快適。しかし何だか物足りない。
それは、クラッチの作動を体で感じることができないからです。
そもそも初めてマニュアル車の運転を習う時、最初のハードルはクラッチのペダルを少しずつ戻してエンジンの回転力を車輪に伝達してゆく時の、あのコツです。早く戻しすぎると動いている軸に負荷がかかってエンジンが止まってしまう。しかし慣れてくると、脚から感じる抵抗や振動によって、まるで車内部の機構が自分の身体の一部であるかのように感じられるようになります。それが面白いわけですが、オートマ車はこの操作が自動的に行われるので、この感覚がありません。
しかし「オートマ」とはよく言ったものですね。今から見るとそれは単にギアチェンジが自動化されただけで、全然オートマチックとは言えません。しかし現在開発されている自動運転は、いわばその究極の到達点で、もはや人間の操作は不必要となり、目的地を車に伝えるだけで、ドライバー(ではもはやないが)は居眠りしていても、安全に到着できることが目指されています。
どうでしょう。確かに運転の楽しみは無くなるでしょうが、ものは考えようで、自動運転においてはそもそも人間は運転をしていないのだから、眠らずご飯も食べない自分専用の運転手が、常に車に乗っていると考えれば、まあいいのではないでしょうか。
50年後、子供に「昔はね、車は人間が運転してたんだよ」と教えたら「ええー、そんな危ないことしてたの? 信じられなーい」と言われるようになるでしょう。
文明の発達とともに失われていった、道具や機械をマニュアルで操作する楽しさは、別に車の運転だけではありません。ぼくは小学校の日直で、冬の早朝教室の石炭ストーブに、新聞紙と木切を使って効率よく火を起こすのが得意でした。肥後守で上手に鉛筆を削るのも(今でも出来ますが)。
そういうのは数え上げれはキリがなく、個人の人生の記憶としては大切ですが、ノスタルジーです。AIはこれまで私たちが慣れ親しんできた技術的経験の多くをノスタルジーに変えてしまうだろうが、それは抵抗しようがない。だがそんなこととは関係なく、人間は好きなことをすればいいわけで、その点は全く心配していません。
【A2】経済成長とは何か。それは人間のすべての活動にとって根本的に重要なことだと思います。芸術や人文学のような文化の領域に属する活動も、経済とは無関係と考えている人もいますが、実は経済成長なしには、芸術も文化も元気が出ないのです。
しかしこの四半世紀、とりわけ左翼リベラル派知識人の間では、もはや日本は経済成長にとらわれるべきではない、環境問題もあるし、少子化で人口も増えないし、成長ではなく成熟した社会を目指すべきであるといった、よく分からない抽象的な理念が支配的でした。
しかしこれは、「成長」を高度経済成長期のようなモデルで考えたためです。これからは成長のない社会だと言われても、既存のものをメンテナンスしながらみんな仲良くやって行きましょう、というような方針では、若者はモチベーションが上がるわけがありません。
成熟社会とか言ってるインテリの人たちは、自分たちは高度成長の恩恵を受けて、大学教授とかになってそれなりに資産を蓄積して余裕があるから、そんな気楽なことが言えているのです。
未来を考えるとき、成長は絶対的に必要です。具体的には、GDPが上がるということですが、それは必ずしも、高度経済成長期のように派手な土木工事や技術的イノベーションのようなイメージに囚われる必要はないのです。
メンテナンスといっても、既存のインフラを単に維持していくのではなく、その異なった使い方を発案したり、補修改良しながら新たな可能性を見出して生産性を向上させてゆくことはできるのです。多分それが、質問者の言われる「メンテナンスの面白さ」ということだと思います。
ポイントは、そんな改良がもたらす成長は微々たるものだ、というような偏見を脱することにあると思います。それは、何か巨大な「戦艦大和」的なテクノロジーを開発することが時代を切り拓くのだという、根拠のない妄想です。重要なのは大きさや強さではなく、持続的に複製されてゆくことです。
生物界を見渡してみれば、成功しサステイナブルな生き物は、決して他を圧倒するような派手な強さを持っているわけではありません。一見地味だが、頑強で着実に増えてゆくものが生き残ります。その意味で、これからの人類の経済活動は、より自然に近いものになっていくのだと思っています。