◉ れいわTANUKI問答ポンポコ 008 ◉
【A】それは、あなた自身が小さく、情けないほど弱く、そして年をとることを怖れているからです。そして、そうでありながら、そのことを自分に対して隠し、認めようとしないからです。厳しい言い方だと聞こえるかもしれないが、それ以外の理由はありません。ヘイトスピーチなどもそうですが、弱者やマイノリティを攻撃する動機は、自分自身の不安や弱さに対する無知と拒絶であって、言い換えれば、自分が十分強くないからなのです。
「駄目だ」と思っていても攻撃が止まらないと言われますが、それは、本当に「駄目だ」とは思っていないからです。たぶん頭で「駄目だ」と知っているだけなのだと思います。あるいは、こういうことは駄目だと思わなければならない、と自分に言い聞かせているだけかもしれません。それは、心の底から「駄目だ」と分かっているということではありません。
弱い存在は護らなければならない、というのは、ただの「理屈」です。理屈では行動は決して変わりません。道徳や義務感は、それがあるというだけでは何の助けにもなりません。むしろ、「こんなことしてはいけないのにしてしまう自分」という現実に悩んで、堂々巡りになってしまいます。
暴走する気持ちを抑える方法なんて、ないと考えた方がいいのです。どうでもいいような気持ちの傾向なら、ある程度ゴマかすこともできるかもしれませんが、弱い存在を攻撃してしまうような圧倒的な気持ちの奔流は、理性でコントロールすることはできません。それは、自分自身の弱さから目を背けるという強い動機から発して降り、そこからエネルギーを備給されているからです。
だからそういう気持ちが起こったら、それを無理やり抑えるのではなく、起こるがままに放置し、ただし自分自身は巻き込まれないように、できるだけその気持ちから身を引き離すことを試みるしかないと思います。感情は好きなように暴走させ、自分はそれをしっかり注視していればいいのです。しっかりと視ていることが大事です。自分の身をそこに置かなければ、感情的なエネルギーの流れはやがておさまります。
感情の奔流からどうやって自分の身を避けるかという心構えですが、それはいわば「諦める」ことです。諦めるというのは自分の無力さを自覚することで、どうせ何やってもダメなんだ、と思うことです。川に落ちて激流に巻き込まれた時、いくらもがいてもダメだと分かって、もう仕方ないかと諦めるような感じです。そうすると力が抜けます。本当の川だったら死んでしまいますが、感情の流れであれば、力を抜くことによって、自分をガッチリと捉えていた気持ちの束縛力も弱まるのです。