◉ れいわTANUKI問答ポンポコ 007 ◉
【Q】私は夢をよく見るのですが、それを書いたものを読み返すと、かなりの確度で未来のことを予知しています。未来はあらかじめ決まっているのか、自由意志により動かせるのかといったよくある質問をするつもりはありませんし、その質問はあまり意味がないような気がします。ただ未来が現在の自分に入り込む以上、未来はただのまっさらな紙ではない気がしますし、単なる過去と現在の一方通行の延長ではないように思えます。未来というのは何なのでしょうか? 先生は、もしくは他の哲学者(宗教者、科学者でもかまいません)は、未来というものを何だと考えていたのでしょうか?
【A】未来を予知する夢をご覧になるというのは、今日ではたいへん貴重な能力であり、大切にされたらよいと思います。一般に近代以前の人々の多くは、夢に予知的な力を認めており、予知夢はかつては今よりも広く認められていた現象です。ただしそうした能力は、人生のある時点で突然消失する、というようなこともよくありますので、たとえそうなっても落胆されませんように。
仰るとおり、未来はまったくの白紙ではなく、現在の中に入り込んでいます。それも、かなりの程度まで入り込んでいます。だから現在をよく観察すれば、未来はある程度知ることができます。あるいは覚醒時に意識できなくても、昼の記憶の残滓を処理する夢の中では、現在に入り込んでいた未来が、ある形をなして現れることはあります。それが予知夢の生じる理由です。
それでは未来というのは、現在の中に無意識に含まれている情報の総体なのでしょうか。カントより少し若い世代の啓蒙期の思想家ラプラス(Pierre-Simon Laplace, 1749 - 1827)は、宇宙に存在する全ての原子は物理法則に従っているのだから、もしも現時点での全原子の位置と運動量を知ることができれば、宇宙の運命は未来永劫にわたって予測可能だと考えました。いわゆる古典的決定論です。
古典的決定論に従うなら、未来が予測できないのは、単に私たちが現在の宇宙の状態を一個一個の原子のレベルまで正確に知ることができないからにすぎない、ということになります。しかしこの状況は、「‥‥にすぎない」と言うにはあまりに深刻で、人間であれ人工物であれ、宇宙について何かを「知る」ということは、何らかの物質的基盤(神経系や電子回路)によって情報処理を行うことであり、それを可能にしてる物質もまた原子で出来ているのだから、どんなに優れた知性も現在の宇宙の状態を知り尽くして未来を正確に予知することは、現実的に不可能である、と考えられます。
それは理屈では納得できますが、それでもなお私たちは、現在の宇宙の全原子の状態を決定されているものとして「思い描く」ことは少なくともできるし、したがってそれらを全て知る架空の超知性にとっては、未来は確実に知られているはずだ、と想像することはできます。そういう超知性はかつては「神」でしたが、「神」が説得力を失った18世紀以降は、「ラプラスのデーモン」と呼ばれました。呼び名が変わっただけで、同じことですが。
もちろん今日の物理科学では、まともにこんな形而上学的な問いを立てることはありません。現在では「ラプラスのデーモン」は、科学的な概念というよりは、美学的な概念かもしれません。しかしそれは、決して時代遅れのガラクタではないのです。全宇宙に関してはともかく、少なくとも局所的には、私たちは現時点の状態をより正確に知ることができれば、未来はより正確に決定できると考えているからです。現実的・技術的な限界があるというのは、また別の問題です。
では最後に、ぼく自身は未来をどのように考えているか。ぼくは「未来」を、物理的宇宙の時間的進行に関する概念だとは思っていません。未来とは物理的概念ではなく、むしろ倫理的な概念です。ぼくの考えは実存主義的な時間理解に近いです。つまり未来とは説明や制御の対象ではなく、選択や行為に関わるものです。それはもちろん、未来を意のままに選んだり作り出すことができる、という意味ではありません。私たちは現在の世界の状態を完全に知っておらず、知ることも不可能なので、未来を完全に合理的に計画することができません。これが生きることの基本的な状況です。だからこそ、夢や想像力の働く余地があるのです。