「美学特殊講義1」第9回
「これは休講ではない──パート2」
土曜日に美学会の研究発表があったせいか、一週間が経つのが速い。
発表の録音を聴きたいが、美学会の会員限定ですか? という質問も受けたが、そんなことはないはずである。これまでの研究会も「来聴自由」とされていたから、誰でも聴けるようにすべきなのだ。とはいえ、まったくの公開にはしない。それはなぜかというと、実空間における学会発表はたとえ「来聴自由」とされていても、そこには実空間に特有の制約があったからだ。つまり、「特定の時間にある場所まで来て、主に学会員が来ている中に座って聴く」という制約である。だから「個別に連絡してきた信頼に足る人にだけリンクを教える」ことで、そうした実空間の持つ自然的セキュリティに替えているわけである。
「特定の時間にある場所まで来て、知らない人たちの間に座って聴く」というのは、かなりのコストである。
ネット上で完全に公開することは、このコストが存在しないことを意味する。そして、このコストが存在しないことは、そこで生じている出来事そのものの意味を変えてしまうのである。だが、私たちはまだこの変化した出来事を適切に言い表す言葉を持っていない。だから、ネットで公開されるのは「学会発表」なのである。つまり実空間における出来事の「記録」ないしは「再現」だと思われている。本当はそうではない、まったく異なった出来事が起こっているのではないだろうか? というのが、ぼくがずっと問い続けてきたことである。
この問題は、ネット上かそうでないかという区別以前に、そもそも電子的情報、デジタル情報かそうでないかという区別に関わるものである。
今日では、「書く」ことはほとんどの場合電子的機器を使って行われる。だからわざわざ「電子的に書く」などと言うことすらない。ごくたまに学生が手書きのレポートを出してきたりすると、読みにくいなあ、何か意図があるのだろうか? と考えてしまう。けれども今から40年前、1980年頃には、個人用ワードプロセッサが普及し始めていたにもかかわらず、京都大学文学部の卒業論文は手書きでなければ受理されなかった。
今の若い人たちには説明が必要だろう。それは「コピペ」を防ぐためではないよ。なぜなら、「コピペ」することが可能な電子的文字データなど、普通の人の生活圏には存在していなかったからである。電子機器の普及以前の学生たちが行う不正とは、本や雑誌からその内容を写し取ることである。だからそれは、手書きであろうがワープロを使おうが、同じことだ。
それではなぜ、機械的に印字された卒業論文は受理されなかったのか? それは(少なくとも京大文学部では)「そんなものは論文ではない」と考えられていたからだろう。それ以外には考えられない。タイピングによって電子的に書くことは、いわば「書く」こととは異なった行為であるということである。
これは、手書きという神話にとらわれた、時代の変化についてゆけない、当時の人文学系教授たちの頑迷な偏見だろうか? たしかに、普通の意味ではその通りである。だが、そこには正しい認識も含まれていた。それは、電子的に書くことは従来の「書く」とは異なった、まったく新しい行為である、という認識である。もちろんこの「新しい行為」はネガティブにしか見られていなかったのだが。
実空間における出来事には、何もしなくても実空間であるがゆえの「適度なセキュリティ」がかけられている。学生がレポートを書くのにズルをして本の内容をそのまま写し取ったとしても、それはいわば「写経」のようなことだから、「コピペ」とは似て非なる行為である。甲南大学に勤めていた頃、ある学生が提出したレポートはぼく自身の著書の一章を丸ごと写したものだった。あろうことかその学生は、図書館でたまたま見つけた本がぼくのものだということを知らなかったのである(笑)。それはもちろん「不正行為」なのであるが、大量の転写ミスを含んだ、レポート用紙十数枚にも及ぶ手書き原稿を前にして、ぼくはある種の感動を覚えた。
今、手元にはぼくが土曜日に行った発表原稿がある(「手元」というのは正確にはクラウド上のことなのだが)。発表の内容を知りたいという人がいるのなら、これをここに「コピペ」してしまえばいちばん簡単である。それはわずか数秒で、キーボード上の10ストローク以下の操作でできる。けれどもこの原稿はもしかすると美学の学会誌に掲載してくれるかもしれないので(くれないような気もするのだが)、それを事前に勝手に公開してはいけないと思う。けれどもあまりに簡単だから、ついやってしまいそうになるのである。
これがもしも手書きの原稿であればどうだろう。ある雑誌に掲載を予定されている原稿を、無断で別な雑誌に持ち込んで事前に掲載してしまう──これは不正なことだし、こうした不正をあえて犯すには、よほどの根性というか、相応の動機がなければならないだろう。これが、自然に存在している適度のセキュリティである。だが(実空間的な意味としては)同じことを、電子的情報空間においては、コストもなく、根性も要らず、さしたる動機もなしに出来てしまう、ということである。
さて今気づいたのだが、今日の「講義」はある意味で先週の問題を発展させる内容でいいなあと思っていたら、考えてみると先週は「休講」だったのではないだろうか? ということは、これはその続きなのだから依然として「休講」ということになるのだろうか? しかしタイトルは「これは休講ではない」だった。‥‥よく分からないので、同じタイトルを付けてみる。区別するために「パート2」という、日本語としてはちょっと懐かしい言い方をしてみる。そして懐かしついでに、先週引用した1998年の最初のオンラインエッセイのしばらく後に書いた、1999年の文章を引用する。
懐かしいだけでなく、ぼくは今のメディア状況を考えるためには、20年前のことを回顧することが役に立つとぼくは思っている。幸い、自分自身が当時の状況を踏まえて教育とインターネットについて考えたテキストを残している。加えてまたもやRCサクセションが引用されている。そして、20年前の自分はもはや別な書き手のようにも感じられて面白いのである。
甲南大学に着任した1991年はまだ「インターネット」なんて言っても周囲の人たちは誰も理解してはくれず、研究室にでかいパソコンを持ち込んで仕事をしているのを、文学部ではめずらしがられた。それが、以下の文章を書いた1998年頃になると、大学をあげて教育環境の情報化、ネットワーク化が推進されるようになり、メールが出来ない人は肩身の狭い思いをするようになった。早くからネットに関心を持っていたぼくは「先見の明があった」などと感心されたが、そんなことではないのである。この1990年代末、国を挙げての情報化、ネット化に対して、非常に居心地の悪い感覚を持っていたのだ。それでは自分がいち早く、ネットに講義内容に関する情報を色々と載せたりしていたのはどういう意図だったのか、そのことについて考えてみたテキストである。
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インターネットのホームページを大学での教育活動に利用する――これ自体はもう、少しも新しくはない。世界中の大学で、インターネットは掲示板、講義要項(シラバス)やデータベースの公開、ディスカッションや情報交換に利用されている。
このこと自体、何か新しい時代の息吹、といったものを感じさせるだろうか? ノーである。そうした状況は、大学の掲示板や資料室、談話室といったものが、電子的空間にたんに延長されたということにすぎない。そこでは、ヴァーチャルな電子空間はあくまで、現実の物理的コミュニケーションの補助・拡張としてしか考えられていないからだ。
では、大学教育という場がむかえている、本当の変化とは何だろうか? それを考えるためには、そもそも高等教育とは、何だったのかをふりかえってみる必要がある。
電子的コミュニケーション以前においては、高等教育は主として専門的知識の伝達だと思われてきた。教師=学者は、特殊化された情報を所有し、それを取り扱う権限を付与された、広い意味での「官僚」、あるいは「神官」といった役割を担っていた。そして教壇に立って講義を行なうという情報伝達の形式は、同時に、秘蔵された知識の授与という、神聖な儀式の側面をもっていたのである。
だが現代、こうした儀式が成立するための社会的条件は、完全に崩壊している。たんなるデータとしての専門的知識とか、たんに新しいというだけの情報なら、わざわざ大学の講義室などに足を運ぶ必要などないからである。学生たちが勉強しない、授業にならないという嘆きがいたるところに聞かれるが、それは「儀式としての講義」というフィクションが成立しなくなった、当然の帰結である。たんに専門家であるということだけで権威が付与されるような価値観は、「学会」という、まるでアーミッシュのような特殊な共同体内部でしか通用しない。
ではもしも、専門家による知識の伝達が電子化されたデータベースや教育プログラムによって代行されるとするなら、大学教師などはお払い箱になるのだろうか。いったい、大学の授業から専門的知識の儀式的授与という側面を取り去ったら、何が残るのだろうか?
残るもの――それは、教師の「身体性」である。この「身体性」は、これまでも「専門家」という衣服の下に隠れて存在してきたものだ。ようするに、生身の人間がしゃべっているということが重要なのである。もちろんそれは、今も昔も同じなのだが、「儀式としての講義」の時代においては、知識の伝達というオフィシャルな姿の影にかくれて、そうした身体性が明確に自覚されなかったのだ。
知識の単純な情報内容ではなく、それを生きた人間が目の前で運用してみせる、というあり方こそが大切なのである。思いがけない着想やリンク、インタラクティヴな議論の発展、さらには間違いや極論といったものも含めて。
とはいえ、何も「これからの大学教師は、ただ教えるだけでなく〈芸〉や〈パフォーマンス〉が必要とされる」といったことが言いたいのではない。そんな間抜けなことを言ってるやつらは大嫌いだ。それは、ようするに大学教育も一種のサービス業だから、という発想から来るのだろう。
たしかに〈芸〉や〈パフォーマンス〉は、身体性を特定の仕方で運用することを意味する。けれども〈芸〉とか〈パフォーマンス〉と安心して呼べるような身体の運用は、すでに商業的世界のなかで確立しているものだ。「いい先生」とか「面白い先生」の大半は、たんに優秀なサービス業従事者であるにすぎない。かれらは専門的知識を、肩肘張らないやり方で伝達する術をもつスペシャリストであるにすぎす、その本質においては、学生など眼中になくモゴモゴしゃべっている老専門家と、大差はないのである。
大学はサービス業ではない。だいたい高い授業料をとって難しい話をきかせ、あげくの果ては試験やレポートで顧客を苦しめるような活動が、「サービス」なんかであるわけはないではないか! 大学がもはや「象牙の塔」的サンクチュアリでないことはいうまでもないが、それでもそれは、周囲の商業的世界からは何らかの仕方で隔離された、独特の空間であることはたしかである。……ここで、また初期のRCサクセションの歌を思い出してしまった(やっぱり偉大なんだなぁRCSは)が、それは「ぼくのすきなせんせい(https://youtu.be/vBgTCToLqkU)」という曲である。
「ぼくのすきなせんせい」で歌われているのは、「タバコを吸いながら」いつでもつまらなさそうにしている「職員室がキライな」美術の先生で、けっして話がうまい、芸達者な人気教師ではない。それは(この場合にはたまたま)しょぼくれたへんなおじさんであって、そうした身体性が率直にあらわれているからこそ、ぼくは「すき」になれるわけである。学校とは、そうした身体性をはからずも許容する場所である点に、その存在意義がある。
大学もまた、そうしたへんな人たち(かならずしも、しょぼくれたおじさんばかりではない)がいるからこそ意味があるのであって、効率的な知識の伝達や訓練を売り物にするテクノクラートたちは、こうした高等教育の本義からいうなら、ただの付け足しである。まあ、そういうまともな大人たちも飼っといたほうが、変化があっていいかな、てな程度である。
さて、このように考えているぼくにとって、教育活動におけるインターネット利用とは、はたして何のためになされるのか? それは、授業その他の「効率化」のためではない。そうではなくて、授業の「二重化」あるいは「乗っ取り」のためだ。このサイトにおける授業関係のページは、実際に大学で行なわれる授業をサポートするためのものではなく、むしろそれを奪取し、主導権を握ることを目指している。早くいえば、ぼくの授業は実はこっちの方が本物であって、大学の講義室でやっていることは、たんなるこれの派生物、あるいはせいぜい「スクーリング」のようなものにすぎないのかもしれない。
でもこれでは、生身の人間がしゃべることこそ重要だ、ということと矛盾するのでは? そう、たしかに矛盾する。そして、この矛盾が大切なのである。不思議なことなのだが、電子的な情報空間が発達してゆけばゆくほど、〈身体〉はますます、もはやごまかしようのないほどに、裸になっていくのである(インターネットに裸の写真が増える、なんてこと言ってるんじゃないよ)。 (1999年1月15日)