ソウル現代美術館で開催されているクシシュトフ・ヴォディチコ展に関連したワークショップに参加するために、3日間ソウルに滞在していた。それが終わって帰る日の昼前、ホテルをチェックアウトしてロビーでメールに返事したりしていると、同じワークショップに参加した京都市立芸術大学の加須屋明子さんが来て、これからソウル在住のYoung-Hae ChangとMarc Vogeというメディアアーティストと昼ごはんを食べるので、一緒に来ないか? と言う。この2人は、Young-Hae Chang Heavy Industriesというユニットで活動している人たちで、Young-Hae Changはソルボンヌで美学の博士号を取ったメディアアーティスト、Marc Vogeは中国系アメリカ人の詩人である。
それで、近くの韓国料理屋で美味しい昼ごはんを食べ、その後、加須屋さんは飛行機の時間があるので空港に向かい、遅い便で帰国するぼくはまだ少し時間があったので、彼らに誘われるままに近くの喫茶店で2時間ほど話をしていた。以下は、その時に主にMarcとぼくが英語で話したことの一部を再現したものであるが、正確な文字起こしではなく、ぼくの記憶に基づいて編集したものなので、以下の文章全体の責任はぼくにある。ただ、内容は面白く重要なものだと思うので、会話体で公開することにした。
Marc:日本に住んでいていちばんいいと思うことは何?
ぼく:安全なことかな。
Marc:そうだね。こうして街の真ん中に座っていても、突然誰かが「外国人は出て行け! 」みたいなことを言わないところ。
ぼく:そう。その意味では韓国も、まずまず安全ではあると思う。
Marc:アメリカはトランプ大統領になってから、安全ではなくなった。でもね、本当はどこの国でも、みんな外国人なんてキライなんだよね。アメリカだって、60年代、70年代、それからオバマ政権の時だって、白人はインテリでも心の底では外国人なんてキライだったの。でも、それを表に出さなかった。そんなことを表に出すのは恥ずかしいという気持ちがあった。それがトランプになって、崩れはじめたんだよ。その意味で、アメリカの民主主義はメッキが剥がれて、壊れていく。
ぼく:日本は思想としての民主主義は弱いのに、どうして壊れないのかな。
Marc:ぼくが日本にいる時に感じるのは、日本人だって本当は、アメリカ人と同じように、こころの底では外国人なんてキライなんだよ。でもそれを表に出さない。日本では、バーで飲んでいる時にズカズカ歩み寄られて、アイ・ヘイト・ユー、帰れ! みたいなこと言われる心配はまずない。
ぼく:心の中では思ってても、出さないというのがいいということ? 人種差別は思想じゃなくもっと身体的・直観的なものだから、教育によっては解消できない、でもそれを表に現さない習慣というのはありうると。それが文化?
Marc:アメリカはその意味で、文化を失いつつある。フランスももうダメで、ヨーロッパも壊れつつある。日本はこんなに経済はダメになり、政治もひどいのに、社会の安全性は壊れない。韓国も、政治は汚職まみれなのに、社会の安全性は壊れない。それはなぜか? その基盤にあるものが何かを、ちゃんと語ってくれる思想家が、アジアから出るのだろうか? いったい誰が、そうしたことについて書いてくれるのだろう?