自分の悪口を言われることが好きだ、などという人はいない。
ぼくも、もちろん好きではない。だからネットでも、自分についてのコメントは読まないし、いわゆる「エゴサーチ」もしない。授業のアンケート結果も読まないし、知りたくもない。
読まなければないも同然、という理屈を提唱しているのだが、それはほとんど、自分の健康のためである。読めば、どんな見知らぬ人のどんな勝手なコメントでも、自分はけっこうダメージを受けると知っているからである。
だから、何を言われても影響を受けないというような達観した境地ではなくて、むしろ言われると影響されてしまうので、護っているという感じである。
だとしたら、誰も自分の悪口を言わないような世界が理想的かというと、そうではないのである。
わざわざ見に行くことはしないけど、どこかで自分の悪口を言われているような世界の方が、そうでない世界よりはマシだという感触を持っている。
表現の自由というのは、この感触を基礎にしている考え方だと思う。