22歳の時、はじめて訪れた外国はエジプトだった。1979年のことである。どうしてかというと、学部時代に親しくなった留学生のひとりがエジプト人で、もうひとりがドイツ人だったのである。それで人生ではじめて海外旅行をすることにしたとき、2人ともそれならぜひ自分の家に来い、と言う。まだ学生だったのでできるだけ安い航空券を探した結果、パキスタン航空の南回りで約1日半かけてカイロに着き、エジプトを2週間見学してからフランクフルトに向かう、という旅程を組んだ。エジプトという国やアラブの文化に特に関心があったというわけではなかった。でも行くと決まったら興味がわいてきた。アラビア語の入門書とテープを買ってにわか勉強をしたけど、とうてい実用段階には達しなかった。
その友人はカイロの空港まで出迎えてくれて、そこから彼の実家のあるアシュートという町に行った。日本人は珍しかったので歩くと常に近所の子供たちがついてきた。その家に何日か世話になって、その後鉄道でアスワンまで旅して、ルクソールにも行って、アレキサンドリアに行って、それからヨーロッパに向かった。たまたまそうなったというだけなのだが、今から思うと、はじめて滞在した外国がアラブ圏であったことは、自分にとって重要なことだったかもしれないと思う。つまり20代の初めに、イスラムの文化についてたいした知識もなく、違和感もなければ気負いも憧れもなく、毎日の礼拝を眼にして、毎朝モスクの塔に付けられたスピーカーから流れるコーランの朗唱で目覚めるという経験をしたことが、である。
就職して何年か後に、在外研究の機会を得てオランダのハーグにある社会研究所(Institute of Social Studies)のフェローとして一年間滞在した。これが唯一長期外国に滞在した経験なのだが、その研究所は非欧米圏の大学院生を積極的に受けいれている所で、アフリカや中東からの学生も多かった。今でも、ときどきメールなどで交流のある友人たちが、エジプト、トルコ、パレスチナ、インドネシアなどにいる。そういうわけで、イスラムについては依然としてほとんど何も知らないのだけれど、自分と関わりのない遠い世界だと思ったことはあまりない。だから今のように、「イスラム過激派」や「イスラム原理主義者」と呼ばれる人たちが世界を騒がせるようなことがあると、そうした友人たちはこの事態をどのように見ているのだろうか、と考える。ときたまにそのことについて話すこともある。
それで最近ある友人と話したのは、「原理的(fundamental)」であることと「原理主義的(fandamentalist)」であることは違うということだった。「原理主義」(昔は「根本主義」とも訳した)というのはそもそも外から付けられた蔑称であり、聖書に書いてあることを文字通り受けとって生きる北米のラディカルなプロテスタント教徒を指して、あの人たちはおかしい、同じ現代人とは思えない、というようなニュアンスで言われ始めたのだと思う。本人たちはもちろんみずからを「原理主義者」などとは名乗っていない。信仰に従って、つまり「原理的に」生きているだけである。だから現代のリベラルな無神論者たちに揶揄されようといっこうに平気だし、無理して禁欲的に生きているわけではないから、豊かな消費社会を謳歌している人々をうらやましいとも思わない。だが、キリスト教の文脈でも「原理主義」という呼び名には、同時代を共有しないエキセントリックな人々というだけでなく、何をするか分からない危ない人たちという含みも、なくはなかった。
それが「イスラム原理主義」という言葉に転用されると、この「危険な奴ら」という意味が途方もなく拡大する。自分の信仰に原理的に従って生きている人々というより、キリスト教やユダヤ教に敵対し、リベラルな無神論者を蔑み、彼らが独占している富や権力を妬み、それらを暴力的な手段によって攻撃・奪取しようと企んでいる集団、というように受けとられるようになる。そして「テロ(リズム)」という、あからさまな政治的符牒と結びつけられて使用されるようになる。これは大きな錯誤であるだけでなく、意図的な情報操作である。なぜなら「原理主義」という言葉がそうした過激な暴力行為と結びつけられると、まるでイスラム教というのはそれを「原理的に」解釈するなら、暴力やテロへと行き着く本質を持っているかのように響くからである。だが宗教というのはそもそも世俗的意識からすれば非合理にみえる面を持っているから、自分たちの暴力を正当化するためにその教義を政治的に悪用することは、どんな宗教に対しても可能である。イスラムを擁護する人はよく「キリスト教の方がその名の下によほど残忍なことをしてきた」などと非難するが、ある宗教が他のものよりもより残忍であったり平和的であったりすることは、原理的にはない。そういう議論はもう19世紀で終わりにすべきであった。
どのような宗教的・文化的伝統であれ、揺るぎない信念を持って原理的に生きる人々、あるいは生きようとしている人々が、その文化の中心にいる。彼らは絶対に暴力を用いない平和主義者であるとはかぎらないが、少なくとも暴力や虐殺を正当化するために教義を利用することはない。それが「原理的である」ことの意味だからである。ぼくは宗教的な人間ではないけれど、ある意味でそのように「原理的に」生きること、いわば真の原理主義者となることを目標としている。パリの事件の後、New Statemanに掲載された文章で哲学者のスラヴォイ・ジジェクは、あんなくだらない風刺雑誌でからかわれただけでキレてしまうほど、かれらの信仰は脆弱なのか? と問いかけた。そして犯人たちは真の原理主義者ではないと言っている。では何者かというと、それは彼らが憎悪していた(はずの)欧米の、リベラルな無神論的な快楽主義者に近いのだ、ということだ。ぼくは、いわゆる「テロリスト」というのは、かれらがいくらその宗教の原理に立ち返ることを言葉で標榜していようとも、それによって残虐行為を正当化しているかぎりにおいて、「原理的である」ことからはほど遠いと思う。彼らはみずからの属する伝統の中心にいるのではなく、むしろそのいちばん周辺の、ギリギリの所におり、だから最も外からの影響に晒されているのである。