東京都写真美術館で開催されているフィオナ・タンの個展『まなざしの詩学』(2014年7月19日~ 9月23日)で、彼女の映像作品『興味深い時代を生きますように』(1997年)を、はじめて観た。これは、自分の家族や親戚を取材したドキュメンタリーであり、作家自身が所蔵している作品である。フィオナは、中国系インドネシア人を父として、オーストラリア人を母としてインドネシアで生まれた。1965年の政変以降、血縁者たちは世界中に離散する。この作品では、作家は自分の血縁者たちをオーストラリア、インドネシア、ドイツ、オランダ、香港と訪ねながら、最後はその中国語姓 "Tang" の源である中国の村にたどり着く。
「私は中国人に見えるか?」「私は中国人なのだろうか?」といった問い——それが肯定されたり否定されたりしながら、反復される。そういう表層だけをみると、複雑なアイデンティティを持つこの作者が「私は何者なのか?」と際限なく問いかけている私的な旅の映画のようでもある。「自分探し」のお話のように思われるかもしれない。けれどもそういう解釈は間違いだと思う。自己アイデンティティへの問い、「私とは何者か?」という問いは、いかなる場合でも、けっして中立的に問うことはできない。私とは誰か?と中立的・抽象的に問い続けても、それは堂々巡りにしかならない。こうした問いは、たとえ明言されなかったとしても、自分がそれを問わなければならなくなった具体的な歴史を、つねに影のように伴っているからである。
フィオナ・タンの場合、その具体的な歴史とは、スカルノ政権の終わりである「9月30日」事件と、それに続く民間人の大量虐殺という、世界史の絶望的な一局面である。これはインドネシアの現代史において、いまだにタブーとされている歴史であるが、今年日本でも公開されたドキュメンタリー映画 The Act of Killing (directed by Joshua Oppenheimer, and co-directed by Christine Cynn and an anonymous Indonesian, 2012)を観ると、その当時のことが生き生きと(被害者への取材がインドネシア政府によって許可されなかったために、実際に拷問や殺人を担当した民兵や民間人自身によって、あまりにも屈託なく演じられることで)証言されている。フィオナは、この悪夢が始まった翌年の1966年に産まれ、家族が移住したオーストラリアで育った。
このタイトル『興味深い時代に生きられますように(May you live in intresting times)』は、とりわけそれを日本語で読んだ時、なんとも気持ちが悪く、異様に聞こえるのではないだろうか? 「興味深い時代」とは、いったい何のことなのだろうか?
この言い方はあきらかにシニカルな表現に聞こえる。「興味深い」とは「混乱した、ひどい時代」を意味するように思えるのだ。このフレーズは、英語圏において「中国語の悪態(Chinese curse)」として知られてきたものである。たとえばJ.F.ケネディ大統領の弟であるロバート・ケネディ上院議員は、フィオナが産まれた1966年にケープタウンで行った演説の終わりで、この表現を引用している。「『彼が興味深い時代を生きますように』という、中国語の悪態があります。好むと好まざるとに関わらず、私たちは興味深い時代に生きています。それは、危険で不確実な時代です。けれどもそれは、人類の歴史の中でも類をみない、きわめて創造的な時代でもあります」。
そしてまことに「興味深い」ことに、「中国語の悪態」と英語で呼ばれているこのフレーズ——「興味深い時代に生きられますように」——自体が、実は故郷を持たない、いわば自己アイデンティティを喪失した字句なである。つまり中国語には、これに相当する言い回しが見いだせないのだ。もっとも近いものとして類推されるのが、「宁为太平犬,莫作乱离人」という表現らしいのだが、これは「混乱の時代に人として生きるよりも、太平の時代に犬として生きる方がいい」という意味である。ところで、ぼくは中国人ではないけれど、この言い回しには心から共感した。というか、フィオナより10年早く日本に生まれた日本人である自分はこの言葉通り、犬として生きてきたのだと感じた。
そしてそれもまた「興味深い時代」であることには違いないのだった。ぼくにとって「私とは誰か?」という問いが意味を持つとすれば、それは犬としての自分自身を実感することから始まるということを、ぼくはようやく理解しつつあるのかもしれない。