IAMASまわりのメールマガジン『ヌートリアまわり通信』5月号が出ました。ここに連載されている「ぬーちゃんの〈ドぐらマぐら〉」もなんと50回を迎え、前回現代語訳をしてあげたら読みやすいと好評だったので、ぬーちゃんは不本意かもしれませんが、50回記念にこんどは対訳で掲載します。
【原文】
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ぬーちゃんの〈ドぐらマぐら〉 その50 まんがとはなぢ
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まんがけんきゅうのせかいには、きわめてじゅうようでありながら未かいたくのテーマはまだまだおおい。そのなかのひとつが、まんがとはなぢ、あるいはまんがにとってはなぢとはなにか?ゆう問題や。
はなぢゆうても、はなからちぃがでる症状のことやあれへんで。いがく的ないみでのはなぢ、つまり鼻出血ゆうもんは、まんがにおけるはなぢとはなんのかんけいもあれへん。まんがではなぢが出るでんとうてきなじょうきょうはただひとつ、むらむらしとるわかいおとこのまえに、とつぜんはだかのねえちゃんが出てきよったりするときや。これはじゅんぜんたるまんがのはつめいで、じっさいに性てき興奮が鼻出血をひきおこすゆうようなことはあらへんのやけど、いまではおとこはそうゆうじょうきょうになったら「はなぢでそう」とかしぜんにおもたりゆうたりしよる。まことにまんがのちからゆうもんは、あなどれまへんわ。
まんが史におけるはなぢひょうげんの金じ塔ゆうたらなんちゅうても、谷岡ヤスジせんせの「鼻血ブー!」(『ヤスジのメッタメタガキ道講座』, 1970年)にひってきするもんはあれへんね。これはたんにこうふんじょうたいのひょうげんゆうようなことをはるかにこえて、〈たましいのカタルシス〉とでもゆうような境地にとうたつするもんやった。よのなかにぎゃくまんがとしょうするもんはおおいけど、もし谷岡せんせのさくひんをギャクマンガてゆうのやったら、ほかのんはギャグまんがとはちがうなにかといわなあかんやろ。
その谷岡せんせも、おしいことに20せいきのおわりにしんでしまはって、うちらはみんな、ぬけるような笑いのどこにもない、いんうつな21せいきにとりのこされてしもた。そやけど、まだまだきぼうはすてたらあかん。ギャグはしんでもはなぢは残る、いいまっしゃろ?(言わへんか…) はなぢはなんと、いがいなとこから出てきよった。このはなぢこそが、ジャック・ラカンせんせのいわはった「現実界」や。今までしょうもないグルメのうんちくまんがやおもてばかにしてましたけど、見直しましたわ。やっぱりまんがゆうもんは、どんなもんでも、なかなかあなどれんゆうこっちゃ。
【現代語訳】
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ぬーちゃんの〈ドぐらマぐら〉 その50 マンガと鼻血
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マンガ研究の世界には、極めて重要でありながら未開拓のテーマはまだまだ多い。その中のひとつが、マンガと鼻血、あるいはマンガにとって鼻血とは何か?ゆう問題や。
鼻血ゆうても、鼻から血ぃが出る症状の事やあれへんで。医学的な意味での鼻血、つまり「鼻出血」ゆうもんは、マンガにおける鼻血とは何の関係もあれへん。マンガで鼻血が出る伝統的な状況はただひとつ、ムラムラしとる若い男の前に、突然ハダカのねえちゃんが出てきよったりする時や。これは純然たるマンガの発明で、実際に性的興奮が鼻出血を引き起こすゆうような事はあらへんのやけど、今では男はそうゆう状況になったら「鼻血出そう」とか自然に思たり言うたりしよる。まことにマンガの力ゆうもんは、あなどれまへんわ。
マンガ史における鼻血表現の金字塔ゆうたらなんちゅうても、谷岡ヤスジ先生の「鼻血ブー!」(『ヤスジのメッタメタガキ道講座』, 1970年)に匹敵するもんはあれへんね。これは単に興奮状態の表現ゆうような事をはるかに越えて、〈魂のカタルシス〉とでもゆうような境地に到達するもんやった。世の中にギャグマンガと称するもんは多いけど、もし谷岡先生の作品をギャクマンガて言うのやったら、他のんはギャグマンガとは違う何かやといわなあかんやろ。
その谷岡先生も、惜しい事に20世紀の終わりに死んでしまはって、うちらはみんな、抜けるような笑いのどこにもない、陰鬱な21世紀に取り残されてしもた。そやけど、まだまだ希望は捨てたらあかん。ギャグは死んでも鼻血は残る、言いまっしゃろ?(言わへんか…) 鼻血はなんと、意外ななとこから出てきよった。この鼻血こそが、ジャック・ラカンせんせの言わはった「現実界」や。今までしょうもないグルメのうんちくマンガや思てバカにしてましたけど、見直しましたわ。やっぱりマンガゆうもんは、どんなもんでも、なかなかあなどれんゆうこっちゃ。
(『月刊ヌートリアまわり通信 [nutria.mawari news]』 vol.50 2014.5.23, 2014年5月)