ぼくの父は35歳で亡くなり、ぼくはその時5歳だったので、そのとき彼とぼくとのあいだには30年間の、いのちの隔たりがあった。
自分が30歳になるまで、父は死者でありながら、ずっとぼくの父だった。しかし死者である父は年をとらず、ずっと35歳のままだった。だから自分自身が35歳になったとき、そしてその後は父よりもどんどん年をとっていくとき、そのことをどう理解したらいいか、最初は戸惑った。年齢的な関係だけからいえば、父はやがて自分の弟となり、さらに年の離れた弟となり、そしていまは息子に近づいている。
アメリカの作家ポール・オースターが、自分よりも若い父と対面するというお話を書いている。登山家であった父は山で遭難し、氷河の中に閉じ込められた。父と同じく登山をする息子は、ある時氷の中に、死んだ時のままで閉じ込められた父の遺体と対面する。氷の中から、完全に凍結保存された死体の、自分よりも若い父が、こちらを見ているというのである。ありえない設定だが、とてもリアルである。
昨年末、横浜国立大学の室井尚さんが集中講義に呼んでくれた。何の講義をするのかと訊かれたので、1993年に彼と共著で出した『情報と生命—脳・コンピュータ・宇宙—』(新曜社ワードマップ)という本をネタにして話すことにした。20年前の本である。
この本を読むと、情報テクノロジーが文化と社会に対して与えるであろうインパクトに対して、大きな希望を持っていたことが分かる。政治的革命は頓挫しても、テクノロジーが否応なく世界を変える。この本には、そうした当時の雰囲気が冷凍保存されている。タイムカプセルみたいなものである。だが現実はそれに反し、ぼくたちの希望は実現されなかった。ネットワーク文化の可能性はあっという間にグローバルな産業論理によって掠め取られ、ぼくたちが期待していたのとは真逆の方向に発展していった。
そのさらに10年ほど前、1980年代前半に出したリチャード・ローティ『哲学の脱構築』の文庫化の話が、現在進行している。つまりほぼ30年前の仕事である。これはぼくがまだ大学院生の時、同じ京大美学出身の室井尚、加藤哲弘、そして社会学者の庁茂、浜日出夫の5人でやっていた研究会で、ローティの『哲学と自然の鏡』のことを紹介したことがきっかけになっている。
その本の解説の末尾に、ぼくは次のように書いた。
〈真理〉や〈実在〉への接近を競い合う哲学の衝動自体から身を引くこと。それはいわば、クソ真面目な〈哲学者〉たちに向かって"Take it easy!"と言うことにほかならない。
生意気な大学院生だったぼくがこんな本を翻訳しこんな解説を書いたので、おまえにはもう将来はないと先輩の「クソ真面目な哲学者」たちから脅されたりした。しかし現実はそれに反し、ぼくは研究者としての職をえることができた。そしてリチャード・ローティも世界的名声をえてアメリカ哲学史の中に名を残し、当時は学会発表で言及するだけでもスキャンダラスだったジャック・デリダやドゥルーズ&ガタリの思想も、今では立派な研究対象となり、それどころかハリウッド映画やマンガやアニメやゲームも、将来有望な学問的研究課題として認められ奨励されるようになった。
ぼくの所属している美学会でも、かつては想像もできなかったようなテーマで研究発表したり博士論文を書いたりすることが許されている。それは、もちろんいいことである。ただ、ぼくが問いたいのは、そのことによって本当にぼくたちは20年、30年前よりリラックスし、「クソ真面目」ではなくなり、解放されたのだろうか? ということだ。つまりこの物故したプラグマティストの思想をぼくが要約して述べた"Take it easy!"という呼びかけに対して、今のぼくたちは心から「もちろん、今は何もかも許されるようになり、ハッピーです!」と答えることができるのだろうか? ということだ。
あからさまに息子を束縛する家父長的な父は死に絶えた。「お前の人生だ、個性を活かして何でも好きなことをしなさい!」と今の多くの父は子供たちに告げる。だがこれは本当に、抑圧的な関係が消滅したということを意味するのだろうか? むしろ、ぼくたちはかえって自由を奪われ、強制ではなく自分の意志から「クソ真面目」に生きることを余儀なくされているのではないか?
20代半ばの自分が記した"Take it easy!"というメッセージ。文庫版『哲学の脱構築』のために解説を書くように言われているのだが、それはぼくにとって、このメッセージに対して今の時点からどのように応答するかを考えることを意味する。一世代前の自分と対面すること。オースターの小説とは逆に、これはいわば生きながらえてしまった父が、凍結保存された息子に対面するようなことなのである。