来年度、京都大学の全学共通科目というものの担当が回ってきて、仕方がないので「現代アートと共に考える」という講義を準備した。現代アート「について」ではなく「と共に」という部分がミソなのであるが、具体的内容はまだぜんぜん考えていない。考えていないのに、シラバスを書けという。Webで書かなければだめだという。もう入力の締切は過ぎているという。智恵子は東京に空が無いと言う。
本当の空が見たいので、仕方なく書くことにする。シラバスってどうやって書くんだっけ?と思いつつ、教員用の入力ページにログインすると、最初の項目は「授業の概要・目的」という欄である。何をどう書けばいいのだろうと思っていると、なんと親切なことに「記入例はこちら」というリンクがあった。ありがたい。最初の記入例を見てみる。
【記入例1】
現代生活と環境に関わる化学のうちで、主として化学物質に関連する分野をテーマとする。具体的には、自動車エンジンの仕組みと燃費の関係、レギュラーガソリンとハイオクガソリンの違いといった身近な話題の解説から始め、現在の環境化学分野の知識や認識を深めることを目的とする。その中で、有機化合物の構造と反応やエネルギーの相互変換といった化学の基礎を習得することを目指す。
つまり、こういうのを書けということなんですね。とりあえず、これをコピーペーストしてみた。でもよく読むと、これは化学の科目である。いくらなんでも、このままではいかんだろう、と思い、次のように改作してみた。
現代生活と環境に関わる文化領域の中で、主として現代アートに関連する分野をテーマとする。具体的には、都市や地域とアートとの関係、完成された作品と制作行為との違いといった身近な話題の解説から始め、現在の芸術諸分野の知識や認識を深めることを目的とする。その中で、制作・表現・解釈の間の有機的な構造と、受容者の反応や意味の相互変換といった現代美学の基礎を習得することを目指す。なかなか自分としては気に入ったので、授業の概要・目的はこれでいくことにする。よし、これで一件落着!とおもいきや、次には「授業計画と内容」というのがあった、何回目に何の話をするのか、という計画である。そんなこと分かりません、というのがホンネだが、やはりこれも書かないといけないらしい。それでまた、「記入例はこちら」をクリックする。すると、
【記入例1】
以下のような課題について、1課題あたり1~2週の授業をする予定である。
1.自動車排気ガス (エンジンの仕組み、燃費、オクタン価、大気汚染物質)
2.エネルギーとその相互変換 (エアコン、電池、原子力発電)
3.生体分子の構造と機能 (化粧品、界面活性剤、イオン交換樹脂)
4.神経伝達の仕組みと阻害 (化学物質の構造と機能、神経毒と殺虫剤)
5.食の安全 (食品残留農薬と食品添加物のリスク管理、ポジティブリストとネガティブリスト)
6.環境ホルモン (ホルモンの働き、ステロイドホルモン、アゴニスト、アンタゴニスト)
7.ダイオキシン (生成機構と毒性)
8.難分解性環境汚染物質 (PCBの構造と毒性)
9.遺伝子組み換え食品 (遺伝子導入法と安全性の確認)
10.化学物質の法規制 (化審法、PRTR法、食品衛生法、農薬取締法)
よし、これもコピーペーストしよう。とはいうものの、自分は「ダイオキシン」とか「難分解性環境汚染物質」について90分間授業するというのは、ちょっときついかもな。そこで、これも以下のように改変する。
以下のような課題について、1課題あたり1~2週の授業をする予定である。
1.自動記述と自己表現 (前衛の仕組み、シュルレアリスム、アートと物質)
2.記号とその相互変換 (芸術活動の記号論、構造主義的芸術理論)
3.アートワールドの構造と機能 (アーサー・ダントーの思想、現代分析美学)
4.意味伝達の仕組みと阻害 (アートにおける意味論、情報論、コミュニケーション理論)
5.「安全」なアートと「危険」なアート (反社会的アート、アクティヴィズム、テロリズム)
6.環境とアート (自然と芸術の関わり、エコロジカルアート、環境アート)
7.ダイアレクティックス (アートと弁証法的思考、ヘーゲル美学入門)
8.アートの「難解さ」とは何か? (コンセプチュアルアートの構造と特性)
9.記号組み換えアート (パロディ、パステーシュ、シュミレーション)
10.アートと法規制 (検閲、自己規制、メディア、アートと常識や倫理との葛藤)
こんなことをすると、ふざけていると怒り出す人もいるかもしれない。それはとんでもない誤解である。アート、とりわけ現代アートにとって重要なのは、内容ではなくて表現、メッセージではなくてメディア、「情報そのもの」ではなくて「その情報がいかに提示されるか」ということである。現代アートは、どこかに安全で客観的に存在している資料体や研究対象ではない。現代アート「について」ではなく、現代アート「と共に」考える、と名付けたのはそのためだ。だからこの講義のシラバスにおいて「これこれの知識を与えます。この講義を受けることで学生はこれこれの能力が身につきます」というようなフォーマットであらかじめ語ることは、現代アートを扱う芸術学の学問的本性からして、きわめて有害なのである。教育効果という観点からも、それだけは避けねばならない。
ぼくはけっして、「シラバス」なるものをバカにしたり否定したりしているわけでは、ぜんぜんないのである。ただ、それを自分の学問領域の本性に合うように、最大限活用しようとしているだけなのだ。