【この文章は(タイトルも)、ぼくの「美学講義」を聴講している鍼灸師・アーティストの光島貴之さんが、自身の制作ノートをもとに前期末のレポートとして提出されたものを、本人の許可を得て掲載したものです。】
画用紙にラインテープとカッティングシートを使っての表現を始めたのは、1995年。最近、そのような手法に飽きがきた。
一つの技法をとことん追求することで、新たなステージにステップアップするのも一つの方法ではあるが、たまたま、フラービオ・ティトロのスケッチブックをさわったことで始めた絵のスタイルを、いつまでも引きずっている必然性はどこにもない。たんに、新たな画材を扱うのを躊躇していただけではないのかと思い始めた。
もう1つ、ぼくの立ち位置を大きく揺すぶったのは、「なぜ、色を使うのですか?」という周囲の見える人から繰返される問いに真正面から答えなければならないような気がしてきたからだ。
これまでは、そのような質問を受けたときには、「見える人へのサービス精神がありすぎるもんですから!!」とか、「色を使って強調したり、変化を与えた方が見やすいでしょ。」などと適当なことを言ってはぐらかしてきた。
ところで、もう2年ほど前からになるが、吉岡洋さんの美学や現代芸術論の講義を聴講させてもらっている。芸術系の大学に席を置いたことのないぼくには、それらの講義や、質問タイム、酒の席での学生さんたちとの雑談がとがとても刺激的だ。
先日講義の中で話題になったイギリスのSF作家H.G.ウェルズの「盲人国」という小説を読んでみた。
主人公、ヌネスは、アンデス山中の中で遭難し、谷間にある村に迷い込んだ。そこは、何世代にもわたって外界から隔絶し、全盲ばかりが暮す国だった。ヌネスは、自分だけが見えるのだから、この国では、自分が当然有利で王様にもなれるだろうと思い込む。ところが事態はそう簡単ではない。見えると言うことがこの盲人国の人には理解してもらえない。おかしなことを口走る病人だと思われる。言葉で伝わらないなら、暴力において人々を屈服させようとするが、それもうまくいかない。いろんなことを諦めて、盲人国に馴染もうとしている内に、すてきな全盲女性と恋愛関係となり、結婚しようとする。ところが周りの人に反対される。結婚の条件は、病気の原因である「くるくる動いている眼球」を摘出するということだった。最初、手術に同意したヌネスだが、思い直して、盲人国を逃げ出す。
この本は、もう100年前に書かれているものだが、ぼくにはとても新鮮だった。似たようなテーマの作品はいくつか読んだことがあるが、それらは、盲目の女性が神秘的な対象になったり、作者の性的な好みの対象として描かれているだけだった。
結局のところ、一対一の関係しか描かれていなかった。それに対して、この小説は、集団対個人の関係や、文化の違い、あるいは社会の在りようが描かれていてとてもおもしろかった。
それでぼくが、この小説を読んで何を感じたかというと、まずは見えない人の文化の在りようである。見える人の眼を意識しない生活の在りようがここにはある。これでいいのだという肯定的なものを感じた。
次に考えたのは、でも現実には、このような盲人国は存在しないのだから、主人公は、自分の眼球を摘出するみたいなやり方で実存を問うのではなく、盲人国の人との関係を成立たせて、その中で生活していくというやり方はなかったのだろうか。
この小説においても案の定、このような場面で描かれるのは、恋愛によって実現される絶対的な関係性の構築だ。彼女のために視力を捨てなければならないという選択とは何だろう。恋愛を用いて、純粋さを際立たせるやり口には少し飽きてしまった。
そしてさらに考えたのは、逆転してはいるが、ぼくはこの日本において見える人の中に一人で飛込んだ主人公のような立場になっているのではないかということである。確かに一人では、ない。十数万という全盲の人が存在しているには違いないが、圧倒的な少数者には違いない。将来的にも多数者になることはないだろう。ひょっとしたら、オゾン層が破壊されて、紫外線が人々の網膜を破壊し、視覚というものが役にたたない未来が在るかもしれないなどとSF的には考えられるが、当分は圧倒的な少数者であることは間違いない。
ぼくは、ひょっとしたら見える人の中で生きようという選択をしたときに、手術をして視力を得ることはできないけれども、「見えるように振舞う」という文化を受
容してしまったのかもしれない。
そのことの証は、中学の頃に緑内障のために眼圧が上昇し、激しい頭痛に悩まされ、人との衝突事故に因る眼底出血も合わさって、眼球摘出の手術を受けたことにある。術後は、義眼を入れることになった。ぼくにとっては、義眼はなくていいものでもあるが、あるとみんな「少しは見えるのですか?」と言ってくれる。なぜかそれは、うれしい言葉掛けなのである。
ぼくは、見える振りをすることで見える社会に受入れてもらったのだろうか!! 見えないままでは、この社会に受入れてもらえなかったのだろうか。見えるままで1人の異邦人を、受入れるという盲人国の在りようが考えられなかったのと同じようにぼくの存在は、見える人の中には受入れられていない。
以来、ぼくは見えないことを、見える人に伝えたいと思い続けた。だがそれは盲人国の人に見えることを伝えようとするのと同じぐらいに徒労であったのかもしれない。ぼくが見える人になれないと同じように、見える人も見えないぼくを体験することはできないのだ。
では、ぼくはこの世の中でどのような在りようをすればいいのか。
色を使い、視覚的な表現を借りて見える人の琴線に触れてながら描き続けるのも1つだが、見るように触るというやり方で、さわる世界のおもしろさを提示することが、今必要なのではないだろうかと思い始めている。見える人の技法を真似るのではなくて、見えない文化の技法を提案したいのだ。
見える人は、存分に視覚を活用すべきだが、ぼくがそれを真似る必要はない。見える人の色の世界に近付く時間は過ぎ去った。
今や、さわることに回帰しなければならない。しかし、事態はそう簡単ではない。今までさわっておもしろいと思っていたものは、実は見える人が見てきっとこれはさわってもおもしろいだろうと想像してぼくに進めたものではなかったのか。
なぜなら、ぼくには全体を見渡してその中からさわっておもしろいものを選び取るということは不可能であり、その時点で見える人の眼を借りなければならないからだ。
「これ、おもしろそうだよ。」と手渡してくれる物を無批判におもしろいとして受入れてきたのではないだろうか。
そんなことを思いながら、さわるおもしろさを感じられる作品を作り始めた。制作過程で見える人に手伝ってもらう。そのとき、視覚的な価値観をどのように排除するか、かなり難しい作業が続いている。ぼくも、つい色を聞きたくなる。
触覚に特化した制作を試みようとすればするほど色の問題が攻めてくる。改めて最近感じているのは、色は魅力的だということ。それは、見える人との繋ぎ目を行き来するための刺繍糸の結び目であり、縺れた糸を解す喜びにも繋がるのかもしれない。