「新型コロナウィルスワクチン接種券」というのが、京都市から来た。65歳以上だから。
厳密に言うとまだ65歳ではないのだけど、今年中に誕生日が来て65歳になる人は該当するということらしい。ワクチンはファイザー社製のものである。費用負担はなく、強制ではない、とある。
強制でないならぼくは、接種はしない。なぜかと言われると困るけど、何となく気持ちが悪いから。今回のコロナ感染症の騒ぎ全体がそもそも初めから気持ちが悪いし、それを解決するためのワクチンの開発と普及ということ全体に対しても、非常に気持ちが悪いと感じている。
もちろん、周囲に新型コロナ感染症でバタバタと倒れたり死んでいく人々を目の当たりにしていたら、自分もワクチンに救いを求めていたかもしれない。だが、少なくとも日本では、まったくそうではない。
目にするのは毎日発表される「感染者」と「死者数」の数値だけ。「感染者」とはPCR検査陽性者のことで、実際の感染とはかけ離れた数だし、「死者数」とはその陽性者がどんな死因で亡くなってもコロナ死とカウントされるのだから、ほとんど意味のない数値である。
とはいっても、マスメディアの煽りを信じてワクチン接種する人を、お前騙されてるぞ、と非難するような気持ちは全くない。短期間で開発・認可されたワクチンはその安全性も効果も信頼できないけれど、仕事上の都合などで接種せざるをえない人はいるだろうし、それは仕方がないと思う。
一連のコロナ騒動に関して、自分なりの世界史的解釈はあるし、聞きたいという人には話しているのだけれど、それを強く主張する気はあまり起こらない。そんなことよりも、こんなつまらないことで人々がこれ以上仲違いしたり、社会生活がギスギスしてゆくことがいちばん困る。
つまり心配なのは、このコロナ騒動が、人々の分断をさらに促進しているということである。むしろその影響によって人々が不健康になり、その健康被害が、コロナが直接もたらす被害よりも大きいのではないかと思っているからである。
ワクチン以前に、私たちには自然免疫がある。自然免疫は生物の基本的な防衛機構で、異物が身体の中に入ってもすぐに攻撃して感染を抑制するメカニズムである。新型コロナウィルスの場合にも、まずは自然免疫がいちばん重要なものであることは疑いない。
その自然免疫は色々な要因によって強まったり弱まったりする。自然免疫の機能が低下する大きな要因のひとつは、ストレスである。強いストレスがかかると、私たちはちょっとしたことで体調を壊したり病気になるのは、誰しも経験的に知っているのではないだろうか。
さて、この一年半くらいの間、私たちは「コロナ怖い、コロナ怖い」と、さんざんストレスをかけられてきた。それによって自然免疫の機能は、集団的なレベルで、著しく低下しているのではないかと想像される。
行政やマスコミがコロナ不安を過剰に煽ったことが原因で、体調を壊したり病気になったり、死んだりした人はどれくらいいるのだろうか。わずかな数ではないと思う。でもそれは調査もされないし統計も出ないので分からない。「エビデンス」がないから無いものとされている。けれどもふつうに考えて、その数は甚大ではないかと思うのである。
感染症にはもちろん注意しなければならないし、それはコロナ以前にもそうであった。でも以前には私たちは、感染症の危険について、生きることに伴う他の様々な危険も勘案して、何となくバランスをとっていたのではないか。今失われているのは、まさにこのバランス感覚である。
感染症にならなくても、私たちは災害や事故でも死ぬ。たとえ病気にも事故にも会わなくても、人間誰でもいずれは死ぬ。私たちの子供も、その遠い子孫もやがては死ぬし、人類そのものも、地球上の生物全体もやがては滅亡する。そんなの、当たり前のことである。この当たり前の事実を認めた上で、さてでは今どう生きるのかをみんなで考えるのが、バランス感覚というものである。それ以外ないのである。