◉ れいわTANUKI問答ポンポコ 012◉
【Q】先生こんにちは。「シオンの議定書」を始め、世の中にはいろんなことを「陰謀」で説明しようとする人が昔からいるらしく、わたしも正直その影響を受けています。日本の政治でも、グローバル化を政府に提言した竹中平蔵の背後には国際金融資本の支配者たちがいて、その人たちがいいように世界を操ろうとしているとか、今のコロナだって、中国の世界支配の手段だとか、メディアを使ってみんなを怖がらせてワクチンを打たせ大儲けしようと企んでいる人がいると言う人もいます。面白いのでつい読んでしまいますが、もしそれらが本当なら、敵はあまりに強大で私たちには太刀打ちできないと思い、絶望的な気持ちになります。先生は陰謀論というものをどのようにお考えですか?
【A】面白い質問ありがとう。
陰謀論というのは、ひとつの物語です。陰謀は現実に実在するというより、現実を理解するための仕掛けの一種です。陰謀論がなぜ魅力的かというと、それはとても分かりやすく、面白いからです。そしてなぜ分かりやすいかというと、陰謀論はこの世界で起こっていることを、特定の人物や集団の意図や計画として説明するからです。よく出来た陰謀論を聴くと、世界がどうしてこうなっているのか、これで全部分かった! という強い確信が生まれす。そうした確信の背後にあるのは、もし自分が巨大な権力や財力を持っていれば世界を意のままにできる、という万能感です。
歴史を理解するには誰しもある程度、それを特定の個人や集団の意図に還元しています。そうしないと、なかなかうまく知識を整理することができません。歴史理解において、陰謀論はいわば「必要悪」ともいえる認識の仕掛けです。けれども歴史についてまともに考えている人は、歴史が特定の個人や集団の意図や計画に還元するには、あまりに複雑すぎる過程であることも実感しています。個人の思惑には限界があり、また人間の思惑を越えた物理的条件が決定的であり、さらに天変地異などの偶然的要因もあります。だから陰謀論は、面白いがそれ自体も一つの歴史的現象である、という程度に付き合っておくのがいいのではないかと思います。
けれどもこの世界には、必ずしも明確な陰謀意識を持っていなくても、生まれつき大きな権限や財力を持っており、自分がどのような振る舞いをすればその権限や財力を維持したり拡大できるかを知っている人々がいることは確かです。彼らは基本的には無知なので、陰謀という言葉は似合いませんが、それでも集団としては、自分たちの利益を最大化するために、直接的ではないにせよ、他の人々を貧困化したり死に追いやるような決断をします。集団レベルでは、確かに「陰謀」があるような気がします。
「陰謀」という考え方はおそらく、今よりはるかに政治的プレイヤーの数も交わされる情報量も少なかった中世ヨーロッパのような世界で、対立する王侯貴族が敵を陥れるために練った、巧みな策略のようなものがモデルになっていると思います。そうした世界では、陰謀に対して戦うやり方は比較的簡単で、それは謀略家を暗殺すればいいわけです。あるいは民主制国家であれば、陰謀を人々に対して暴露すればいいのです。陰謀とは個人の心に生まれるものなので、簡単に言えばその個人を抹殺すれば済むわけです。問題はそうしたモデルが今の世界を考える時、どれくらい有効かということです。
現代社会の特徴は、たとえ陰謀を暴いても状況はあまり変わらないという点にあります。それが「ポスト真実」という状況ですね。現代の社会において、自分や周囲の人々の利益に誘導する言動や行動をとっている特権的階層の人たちの大半は、おそらく陰謀などという意識は持っていません。ほとんどの人はそうした自覚を持つにはあまりに無知です。自分の属している集団の維持や繁栄のために、何となくそれまでに教えられ、適切と思われる行動をとっているだけなのです。政治的指導者たちの大半もそうです。だから、その人たちの個人的な欠陥をあげつらったり、彼らの「陰謀」を暴露しても、それほど効果はありません。そもそも本人たちがそんなもの知らないのですから。陰謀論はむしろ被抑圧者達がその不満のガス抜きをするためのフィクションのような役割になることもあります。
しかし無自覚とはいえ明らかに特定の自己利益のために動いている集団、そのことによって世界を貧しくしている集団は存在するのですから、陰謀論は全く捨て去るよりも、ある程度距離を保ちつつ、持っていたほうがいいとは思います。所詮は虚構なのですから、多くの人々が聞きたがるような、面白い物語に作り上げていくことによって、世界を今よりは少なくともマシなものに変えていくための、戦略的な手段にすればいいと思います。