年なので、同世代の訃報に接することの多くなるのは仕方がない。
夕刻、見晴らしのいい場所を歩いていて、遠くの家や建物に灯がともりはじめ、しだいにあたりが暗くなるにつれて、それら灯火がしだいに周囲から際立ってみえてくる時、それらひとつひとつにはけっして到達することはできないけれど、それらはみんな自分の知らない、そしてこの先も知ることもない(であろう)人々の、無辜の生を証拠立てていることは確実である、と思う時、
死とはこのようなものであろうかと思う。
つまりはふつうのこと、そんなにたいした出来事ではない、ということだ。
先ごろ逝去した、西洋美術を研究してきたひとりの元同僚は、日本の西洋美術研究が西洋においてほとんど意味を持ちえないことに焦立ち、西洋のレベルに近づくことを目的としてきた。そうした態度こそが植民地主義であると考えていたぼくとの間に共感の生じるはずもなかったが、彼が何にせき立てられていたかは理解できなくはない。20代の頃はぼくも同じような焦立ちを感じていた時もあったからだ。
苦しんで学問するという態度にはどうしても共感できなかったし、後から来る若い人たちにそうした抑圧的態度を伝染させることにも、けっして共感できなかった。なぜなら、それではひたすら楽しく勉強している人たち(彼が目指していた西洋の第一線の研究者たちはみんなそうである)に、絶対に太刀打ちできないからである。
しかし、こんなことはすべて生きている時の迷いであり、まあ他愛もないことである。
本当に重要なことは、すべてはやがて忘れられるということ、すべてが忘れられた後で、重要なものだけが残るということである。