今年も6月末に高校生が「美学講義」を見学に来ました。今年は、あらかじめメールで質問をしてもらい、それらに答える形で講義をしました。公開してほしいという要望があったのでここに掲載します。
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① 先生が思う芸術と合わない歴史上で有名なアーティストは誰ですか。また最もすごいと思うアーティストは誰ですか?
- 私たちが「歴史上で有名なアーティスト」と呼んでいる人々の半分以上は自分のことをアーティストだと思っていません。注文を受けて作る「職人」に近い。自発的な自己表現、芸術上の革新といったものを目指す「アーティスト」は19世紀以降の概念です。だからレオナルド・ダ・ビンチも、モーツァルトも「アーティスト」ではありません。
- 「すごい」というのは物量の大きさ、多さに関係する判断で、美学では「崇高」と言います。その意味では、誰にも見せる意図はなく一生かかって1万五千ページの物語を書いたヘンリー・ダーガーは「すごい」ですが、すごいというのは驚くべきという意味で、必ずしも「優れている」「価値がある」という意味ではありません。
② 先生が人生の中で最もしてみたい、またはしたことは何ですか?
- ぼくは無欲なのでしてみたいことはありません。何かの目標のために努力したこともないし、いまのままで十分であり、進歩も向上もしたくありません。好きなことをして平和に暮らしたいし周囲の人にもそうあってほしいが、愚かな為政者たちによってそれが脅かされるときには闘わないと仕方がないと思っています。
③ これからの私たちに必要なもの、知識は何ですか?
- 自分に理解できないものの存在をとりあえず認める寛容さです。寛容さとは「いい加減さ」とも言えます。なぜそれが必要かというと、他者を尊重すべきだからではなくて、よく分からない存在を許すという態度は、長い目でみれば、回り回って自分の利益にもなるからです。何かが自分や社会にとって役に立つか立たないかは、最終的には計算できないということです。こうした観点から余裕をもって世界を観るのが、本当の意味での知識です。
④ 美学とは美というものを研究するものであるが、人それぞれ美は異なるから何を美として追究していくのか?
- 人はさまざまのように見えて、よく見るとほとんど同じです。美的な好みは異なりますが、その「異なり方」のパターンはほぼ均質です(ほとんどの人は「世間で良いとされているもの」が好きである一方、難解なもの、新しいもの、反社会的なものに惹かれる人もかならず一定数存在する、その傾向や比率はだいたい同じ。「個性」なんてたいしたものではないということです)。だから美学は自然科学と同じくらい厳密に研究できるのですが、多くの人は「美については人さまざま」という偏見にとらわれているので、自分たち自身の画一性が分かりません。
⑤ 同じ美学でも研究者の出身地で研究に違いは出てくるのか。また、違いが出るとしたら、学問として成立するのか?
- 出身地(や時代や教育や政治的環境)によって出てくる「違い」こそが、美学への入口です。先入観がなければ解釈はできません。美学が対象とするのは「主観」ですが、主観の中には「人によってバラバラ」ではなく共通で普遍的な成分があります(なければ社会は成立しない)。だから美学は一学問として成立するだけではなく、美学的問題は人間の経験のすべての領域にわたって存在しています。
⑥ 世界で名画と呼ばれる作品の特徴や共通点は何か?
- すぐわかる共通点は、みんな額縁に入っていることです。
- 「名画」とは、○ 誰もが認める、○ ある程度古い、政治的に安全、○ 値段が高い、などの特徴を持った作品を言います。「名画」の「名」とは単に有名ということなので、必ずしもいい絵というわけでも、優れた絵というわけでもありません(たまたま優れた名画も中にはありますが)。名画は「お金になる」というのが共通点です。
⑦ ドブネズミは美しいと思いますか。またそう思う場合ドブネズミの美しさとは何だと思いますか?
- 美学的に言うなら、「美しい」は対象の性質ではなく、表象(心に描く像)についての判断ですので、ドブネズミであれ何であれ、「何か(対象)が美しい」ということはありません。ドブネズミでもヌートリアでも美しく描くことはもちろん可能だし、現代美術の世界では、それどころか切断された動物、内蔵、人間の死体など、眼を覆いたくなるようなものが作品化されることもあります。「美しい」という言葉には、「調和がとれて心地よい」という古典的意味と、「驚きや衝撃を与える」という現代的な意味が重なっていますので、両者を混同すると議論になりません。
⑧ よく自分でも作れそうな作品を目にします。そのような作品は学校や美術館にかざる価値はありますか?
- 作品の価値がどこから発生するのかを知ることはとても大切です。「自分でも作れそう」と思ったら、一度作ってみるといいでしょう。そして、見かけは同じに見えるその作品が、どうして学校や美術館にかざられないのかを考えてみると分かります。ピカソと同じ技法をマスターしてピカソと同じような絵を今誰かが描いても、その作品には美術史的価値はありません(商品価値はあるかもしれません)。奇妙に思えるかもしれませんが、モノとしての作品それ自体には価値はないのです。作品の価値は、それが「何であるか」(=意味)から発生します。意味とは言語的な構成物ですので、解釈したり研究することができます。