来週末、秋田県の角館で「ネオクラシック!カクノダテ 2014」という催しがあります。IAMASでの教え子である阿部由布子さんが中心になって企画してきたものです。過去2年間講演に招いていただき、今年もぜひと言っていただいたのですが、都合がつかず今回はおことわりしました。すると阿部さんが、では先生のツイッター「ひるねのたぬき」のアイコンにちなんで、巨大な「たぬきケーキ」を作り、それを御神輿のように担いで奉納するという、まことに不思議なアイデアを出しました。下の文にあるように、実はあのアイコン画像は阿部さんに頼んで描いてもらったものです。たぬきケーキの御神輿とはどういうものかよく分かりませんが、それでは今回は秋田に行けないぼくの身代わりに、たぬきについての短いテキストを書いてさしあげましょうと約束しました。それが以下の文章です。秋田ではこのテキストをどのように使われるのか知りませんが、昨日銭湯芸術祭をいっしょに見学した院生のひとりからツイッターのアカウント名の由来を尋ねられたので、ここにも転載しておくことにします。
----------------------------------------------------------
ぼくのツイッターのアカウント名は「ひるねのたぬき」という。ブログ名と同じ「たぬきのひるね」が取得できなかったので、仕方なく逆さにした。
どうしてこんな名前をつけたかというと、ぼくは水木しげるのマンガ『河童の三平』がとても好きだからである。この話のなかに、真っ黒なタヌキのキャラクターが出てくる。イタズラばかりする悪いやつだが、どこか抜けている。そのタヌキが鼻ちょうちんを出して昼寝しているような場面を想像して名付けた。
ツイッターのアイコンに、ある時からネットで拾ったそのタヌキの画像を使っていた。でもフォロワーが増えて、大学の先生が無許可で作品画像を使うのはまずいだろうと言われたので、阿部由布子さんにタヌキの絵を描いてくれるように頼んだ。それが現在使っている「ひるねのたぬき」のアイコンである。ちょっと情けないような表情がとても気に入っている。
タヌキは人を化かすけれど、その化かし方にはどこかマヌケなところがある。タヌキオヤジは油断ならないけど、うっかり尻尾を隠しそこねていたりして、その魂胆はバレバレである。でもやはり、油断ならないところがある。そういうタヌキオヤジになりたいと思っていた。
生まれた家の庭には、信楽焼のタヌキの置物があった。子供のころ不思議だったのは、もちろんあの地面までたれさがったキンタマの袋である。オチンチンは赤ちゃんの指みたいに小さいのに、キンタマの袋は異常に大きく、それが多産、招福などのシンボルとして受けとられている。
聞いた話によると、金箔を延ばすときにタヌキの皮を使うとよく延びるのだそうだ。「金」がよく延びるという連想から、信楽タヌキのような図像が生まれたというのは、本当かもしれない。「タンタンたぬきのキンタマは〜」という歌を、学校で歌ってよく叱られたが、いまの子供も歌うのだろうか?
それにしてもこのタヌキ、「急所」を無防備に晒して、いったいどういうつもりなのだろうか? たぶんここに、ぼくがタヌキに惹かれる最大の理由があるような気がする。そこを攻められたら一巻の終わり、みたいな場所があまりに無防備に晒されているので、相手はかえって攻撃できないのである。たいへん高度な戦略であるようにもみえるが、たんにマヌケなだけのようにもみえる。
でもぼくはそこに希望を感じている。自分の文章にもそうした、弱さをあえて正面から晒すようなナイーヴさがあると思う。それだけが取り柄で、そこに賭けていると言ってもいいかもしれない。そして「平和憲法」というのも、ある意味でタヌキのキンタマのようなものかもしれないと思っているのである。