徴兵制について先生はどう思われますか? というような質問が複数来たので、簡単に答えておきます。
今のように「集団的自衛権」の行使容認というようなことが議論されるずっと以前から、徴兵制を復活すべきではないかと考える政治家や論客は、少なからずいた。あるいは、徴兵制とまで言わなくても、若者にはある段階において全員に社会奉仕活動を法律的に義務づけた方がよいというような意見もあった。
ぼくは、この主張そのものが直ちに間違っているとは思わない。韓国をはじめ、兵役や社会奉仕を義務づけている国は世界に多い。それがあることで、国家共同体への帰属意識や社会参加への意識が高まるという面は、たしかにある。戦後の日本では、軍国主義時代の記憶からそうした話題に対して多くの人はアレルギー反応を示し、まともに向き合ってこなかった。でもそれは単に顔を背けてきただけなので、徴兵制に反対する人々の多くも、それがなぜ間違っているのかをちゃんと根拠と自信をもって言えるわけではない。その意味で原則的には、議論の余地はある。
けれどもぼくは、これまで徴兵制復活を唱えてきた人々、そして今も唱えている人々に同調することは、まったくできない。なぜなら、彼らもまた徴兵制についてちゃんと考えているとはとても思えないからであり、また徴兵制を復活するということに関して、自分自身としてしっかり覚悟をしているようには、とてもみえないからである。一言でいうなら、信用できない。
これまでの徴兵制復活論者の多くはこんな風に言う。いまどきの若者は自己中心的で国家や社会のことなど考えない。ネットに没入するオタクであり引きこもりである。だからそういうタルんだ若者たちは、軍隊にでも入れて鍛え直した方がいい、等々。けれどもこうしたことを言う年長者たちは、たいていの場合、若者たちと真剣に対話した経験などなく、週刊誌やテレビの報道を観て、勝手に嘆かわしいと思い込んでいる場合が多い。そしてこうした思い込みや憂慮は、自分自身が若いときには今のように恵まれた、自由で気ままな青春などなかった、自分は誰かのために犠牲をはらってきたという意識によって裏打ちされている。
これは嫉妬である。年長者たち自身は認めたがらないだろうが、彼らはいまの若者たちがうらやましいだけなのだ。現実には「いまの若者」は、年長者たちが思うほど恵まれてもおらず自由でもないのだが、彼らにはそうみえるので、そのことを妬み、その安楽を奪ってやりたいと思っているわけだ。なのにそれをハッキリとは言わず、国家社会のため、などと言って誤魔化す。「老醜」とはまさにこういうことを言うのである。
つまり、いま言われている徴兵制復活というのは、そこで主張される内容ではなく、それが主張される動機において、完全に間違っているのである。徴兵制復活論者は、自分がなぜそんな主張をするのか、その原因を分かっていない。そして間違った動機からなされる主張は、社会によい結果をもたらしたためしはない。
もしも、ぼくが徴兵制復活を主張するとすれば、それは自分自身が今すぐにでも国のために命を捨てる覚悟ができている時である。国のために若者を死地に向かわせるのならば、まず自分自身が率先してそこに行くのでなければならない。当たり前のことだと思う。その覚悟もなしに政治的意見としてだけ主張される徴兵制復活は、空疎でぶざまである。そんなものに若者たちはけっしてついて行かないだろうし、法律で強制したって結局だめだろう。
人間は歳をとれば誰もが醜くなるのではない。若さへの嫉妬を自分の中で解決しないまま歳をとり、しかもそうした自分の個人的問題を、公共的な別な問題とすり替えてゴマ化している老人だけが、醜くなる。徴兵制にまつわる現在の議論は、こうした醜さと結びついているかぎり、そもそも相手にする気にならないのである。