ぼくが7年間勤務していたIAMAS(情報科学芸術大学院大学)が、今年度より岐阜県大垣市の領家町からソフトピア地区に移転するので、それにちなんで月刊『ヌートリアまわり通信』(福森みかさん発刊のメールマガジン)の号外が出て、そこでぬーちゃんがこれまでのことを振り返るテキストを書いています。面白いのですがなにせ「ぬー語」(ひらがな多用の正体不明な関西弁)なので読みにくいという苦情が相次ぎ、日本語訳せよと言われたのでしてみます。
思えば遠く来たもんや。
いくさ苦(1939)るしい二次対戦、ヒトラーがソ連とつるんでポーランドをビビらせとったその年に、うちらの先祖はフランスからお舟に乗って、はるばる日本に着きました。戦争の雲行き怪しいこんな折、海外旅行て優雅なご身分やなて、冗談やあれへんで。うちらが連れて来られたんは、日本の軍人さんが戦争で寒ないように、毛皮のコート、ぎょうさん作るためやがな。産めよ増やせよで増やされて、お国のために皮剥がされて、立派にお役に立ちました。
それから6年暑い夏、「すまんな戦争負けてもたわ」て、ラジオで陛下が言わはって、平和になったはええけれど、喰いもん着るもん底ついて、これからどないなるんやろ、もうヌートリア飼うてるどころやあれへん、どうせあんたらの毛皮安もんで売れへんし、放したげるよってどこなと行き、言われてうちらは野性化しました。ほしたら今度は、生態系を乱す外来種、畑を荒らす害獣や言われて、駆除されるはめになったんやけど、そこはケダモンのすばしこさ、なんとか隠れて逃げまわって、命をつないでまいりました。
時は流れて2000年、メディアと芸術でおもろいことやりましょ、ゆうて頑張ったはる IAMAS に、京都から吉岡せんせが来やはって、今度大垣で開くメディアアートのお祭りに、なんかええ名前なかいな、ゆうて会議したはる時、作曲家の三輪せんせが、そら〈ヌートリア祭〉しか考えられへんでしょゆうて提案しはって、他の人らもそらええ、おもろいて言うてくれはった時には、うちらもう、うれしゅうて涙がちょちょびれました。
結局名前は〈大垣ビエンナーレ〉ゆうことに決まって、〈ヌートリア祭〉にはなれへんかったんやけど、可哀想やさかい、学内のメールマガジンに、連載もたせたげましょ、ゆうことになって、たしか「ぬーちゃん語録」ゆうもんが始まったんです。CMC(メディア文化センター)のフーやんさん、コバちゃんさんにはよお可愛がってもろて、好きなこと書かせていただいて、ほんまにええ目ぇ見させてもらいました。
時は移って、いつしか IAMAS横の水路も、整備されて草むらも無うなって、住みにくなったなあ思てたら、CMCもなくなって、吉岡せんせもおらんようにならはって、そろそろうちも年貢のおさめどきかいな、て覚悟してたら、福森さんが「ヌートリアまわり通信」ゆう結構なもんを始めてくれはって、そこでまたぬーちゃん連載持ったらええがな、ぬーちゃんの好きなドラマとマンガの話毎月書いてえなて、まことに有り難いお言葉、おかげで今日までやってこられました。
思えば遠く来たもんや…。
感慨にふけるまもなく IAMAS が、今度は長年住み慣れた、領家町を後にして、ソフトピア地区に移転する、ゆうやないかいな。行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。諸行無常諸法無我、アーメンそーめんな南無阿弥陀仏。そやけどまだまだ死なへんで。うちらにしたら、さらに住みにくい環境になるんやろけど、そこはみなで智恵出し合うて、何とかやっていきますわ。Don't worryや、どんと来いや。引越したかて、かめへん、かめへん。え? 意味わからんてか? 「かめへん」ゆうのは「かまいません」…あーやっぱし標準語はじんましん出るわー。
思てましたら福森さんが、むかしの江戸の判じもんで「かまわぬ」ゆうのんどやゆうて、教えてくれはった。なるほど、粋なもんですなあ。歌舞伎役者の七代目市川団十郎はんが、舞台でおめしになってから、えらい流行った意匠やそうな。うちらもこれからは「雅」と「はんなり」だけやのおて、「粋」も心がけつつ精進させてもらいますよって、今後とも皆さん、隅から隅までずずずいーと、よろしゅうおたのみもうします。