なぜ「給食」? そしてなぜ、「おまんじゅう」? ? そしてそして、なぜ「みんなが好きな」のだろうか???
もう、疑問の噴出である(笑)。何のことを言ってるかというと、今日(2014年3月27日)から始まった「パノラマプロジェクト京都篇」において、明日から上演される、コンピュータ音楽作曲家三輪眞弘さんによるパフォーマンス「みんなが好きな給食のおまんじゅう」のことだ(上の写真は本日のリハーサル風景)。
「パノラマプロジェクト」とは、明治時代に上野と浅草に導入されたエンターテインメント施設「パノラマ館」を手がかりに、横浜国立大学の室井尚さんが企画されたアートイベントである。やなぎみわと唐ゼミによる演劇「パノラマ」、ぼくも参加している「BEACON 2014 in flux」、三遊亭あほまろさんのジオラマと活弁付き映画、そして三輪眞弘さんのパフォーマンスがある。1月に台東区の下谷でも発表したのだが、今回は京都の元立誠小学校で行われる。
それぞれ面白い出し物なのだが、とにかく「ワケの分からなさ」という点から言えば、なんといっても三輪さんの作品がダントツであろう。今日の夕方、京都の木屋町通に面した元立誠小学校前でリハーサルが行われた(上の写真)のだが、道を行き来する観光客が思わず「これはいったい何?」という顔で脚を止めるのをみて、本当にワクワクした。優れた作品を作れるアーティストには事欠かないが、これは何?!という作品を作れるアーティストは、現代では希である。
それはともかく、なぜ「給食」? 三輪さんがこのアイデアをどのように思いついたのかは分からないのだけれど、去年岐阜でお会いして始めてこの作品の構想を聞いたとき、ぼくはいい歳をして、正気を保つのがむずかしかった。「給食」は、ぼくが物心ついてからの人生の最初の数年間、6歳から12歳までの小学校時代を、半ば地獄に変えた制度だったからである。何を大げさなと思われるかもしれないが。
ぼくは子供の頃から、なぜか体質的に動物性のものがあまり食べられなかったのである。けれども昭和30年代から40年代にかけての常識では、子供には動物性蛋白質を大量に摂取させるべき、という国家的方針があり、学校はそれに従った食事を提供しなければならなかった。そして、好き嫌いは許さない。だから毎日の給食の時間には、ぼくにとって見るだけで吐き気のするような肉類を、無理やり食べさせられたのである。
とはいえどうしても食べることはできないので、食べるまで残された。昼休みに掃除のために机がぜんぶ後の方に下げられ、ガランとした教室の真ん中に自分だけが座っていなければならなかった。食べられない給食を前にして、ただ時間が過ぎるのを待つだけなのである。午後の授業の開始時間が迫り、仕方なくその食べ物が下げられるまで、じっとガマンしていなければならなかった。
それが、ほぼ毎日である。「不登校」というのも今のように社会的に容認されていなかったので、学校を休むこともできない。ある時などは、クラスメートの男子の何人かが、お肉の食べられないヨシオカ君を救済するために、複数で後から羽交い締めにして無理やり口に押し込まれたこともある。その時、担任の若い男性教員は、この生徒たちの暴行を制止するどころか、ニヤニヤ笑いながらそれを見ていた。ぼくは今でもその時の彼の、不自然に歪んだ笑いを思い出すことができる。
そして、ぼくがこうしたことを想起し、過剰に反応してしまったのは、三輪さんのこの作品が、たんに「給食」のことだけではなく、もちろん「おまんじゅう」のことだけでもなく、「給食のおまんじゅう」的なるすべてのものを、「みんなが好き」だというフリをしなければならないこの世の中、そうしないと大変な制裁を受けることになる今のこの世界について、何かを言っているからだろう。
「みんなが好きな給食のおまんじゅう」というパフォーマンスを、ぼくは、このように観ている。たぶん三輪さんの制作意図とは違うのかもしれないが、でもこんなタイトルを付けられてしまったら、ぼくはこのような文脈でしか観られないのである。