以下の文章は、3年くらい前に東京国立近代美術館から刊行されている現代の眼』という機関誌のために書いた「日本でケントリッジを視る」の再録です。2015年に開催されるPARASOHIA(京都国際現代芸術祭)に協力することになり、来年2月にはケントリッジの新作インスタレーションが京都で展示される予定。京大の全学科目「現代アートと共に考える」でもケントリッジの話をするので、参考のために公開します。
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ケントリッジ作品を日本で視る
今回、京都を皮切りに東京、広島と、ウィリアム・ケントリッジの主要作品を紹介する展覧会が巡回するのは、実に素晴らしいことである。これまで国内外の美術国際展その他で断片的に眼にしてきたこの美術作家の作品を、まとめてゆっくりと観ることができるからだが、それだけではなく、それらをこの日本という場所で観るという、希有な機会を与えてくれるからである。
日本の生活の中で経験される「南アフリカ」は、様々なイメージの混合である。学校の世界史の授業では、1990年代まで40年以上も続いた「合法的」な人種隔離政策、その中で日本人が「名誉白人」とされたこと、等々について教わる。新聞やテレビは、日本の100倍を超える犯罪率、売春やHIVの蔓延について報道する。だがテレビはまた、この国の素晴らしい気候や野生動物の映像で私たちを魅了することもある。デパートの食料品売場には、南アフリカ産の果物やワインが並んでいる・・・「南ア」は日本にとって遠い国などではなく、私たちは思っている以上に、日常生活の中でこの国を「視て」いるのである。そして他の多くの事柄と同様、そうした散り散りのイメージは思考へと統合されることはなく、私たちの心の中に混乱した情報の断片として積み重なってゆく。
現代社会では、私たちはそうした断片化されたイメージや記憶の集積こそが、現実【ルビ:リアリティ】だと考える傾向がある。その反面、明確なメッセージや筋の通った物語は、もはや過去のもの、疑わしいもの、「宗教」めいたものにすら見え、そんなものを信じるのは愚かなことであるかのように、私たちは語りたがる。だから美術であれ文学であれ、混乱したイメージを混乱したままに表現している作品の方が「現代的」で「知的」にみえたりする。難解で答えが出ないような表現の方に、ある種のリアリティを感じてしまうのである。(混乱しているだけなのだから、難解で答えが出ないのは当たり前なのだが。)
「難解な現代美術」は、私たちの内なる「混乱」を映し出しているという意味で、たしかに「リアリティ」がある。けれどもこうした「リアリティ」は、私たちを結局どこにも導かない。そこから生じるのは、無力感である。この世界は暴力と悲惨に満ち溢れている・・・無力な〈私〉はそれを前に、怯え立ちつくしている・・・だから何だというのか? イメージの雑多な混乱を美的価値と勘違いするこの傾向こそ、現代美術を視るときに私たちがいちばん警戒し、抵抗しなければならない傾向であろう。だが、いったいどうやって? ケントリッジの作品はそうした傾向への処方箋となる。なぜならそれらは、「視る」という経験のもつ能動的側面についての、明確な意識から制作されているからである。
「視ることは投影することだ」といったことを、ケントリッジは繰り返し語っている。また「私たちは各自のプロジェクタを持っている」とも言う(1)。これは、けっして難解なことを言っているのではない。肉眼によって、あるいはメディアという人工の眼を通して、自分は外にある世界を「視て」いるのだと私たちは信じている。イメージはいつも外界からこちらにやって来ると思っている。「視る」ことをそうした受動的・一方向的なプロセスとして考えるのは、たしかに近代的な視覚モデルと結びついている。それ自体が間違っているというわけではない。ただ、それだけでは「視る」経験について理解するには不十分なのだ。受動的視覚と同時に、私たちは自分自身の内部からイメージを作り出し、それを外界に投影し、能動的に世界を作成しているのである。「視る」という経験は、これら二つのプロセスの、いわば交点に成立する。視覚的経験とは、受けとる行為と投げかける行為との混ざり合いの中から立ち上がるものなのだ。
明確な言葉や論理によって思考するよりも、はるかに多くの時間、私たちはイメージの連鎖によって思考している。そしてたいていの場合、そうしたイメージによる思考とは、学習された連想の自動的反復にほかならない。学校で習ったこと、テレビで観たこと、何かで読んだこと、誰かが言ったことを、結局私たちはコピーし、反復しているだけだ。これも、そのことだけに注目すると、まるで出口のない閉塞状況のように思える。コピー以外に、いったい何があるというのか?と問いかける人もいるかもしれない。ポストモダン以降、どこにもないオリジナルな考えが自己の内部から湧き上がってくると空想するほど、私たちはロマンティックではない。それは、もちろんその通りだ。けれどもこうしたシニシズムは、どこか、根本的におかしい。何がおかしいのか? ケントリッジ作品が、それを知る重要なヒントとなる。
自己というものは不可避的に分裂してゆく、という考えが、彼の制作の基礎になっているからだ。過去の〈私〉と現在の〈私〉、考えている〈私〉と無意識に動いている〈私〉・・・自己を作り出しているのは、同一性であると同時に、絶え間ない分裂なのである。そこからみると、過剰に与えられる情報をただ反復するしかない現代人の閉塞的自己などというのは、ひとつのフィクションにすぎないことがわかる。ただ、自己の分裂そのものは端的な事実であって、それがそのまま希望であるわけではない。大切なのは、複数化した自己を新たな仕方で結合・編集する方法を見いだすことである。そしておそらく、それを見いだそうとする努力の中に、美術の可能性があるといっていいのではないだろうか?
私たちは二〇世紀美術の歴史を知っていると思っている。でもそれは、誰によって語られた「歴史」だったのだろうか? ロシア・東欧も、中南米も、アフリカも、アジアも、この「歴史」からみて、様々な距離に位置している。そうした各地域の美術は、この「歴史」の言葉を用いて、その「歴史」から測定された地域的な特質や変異として、これまで記述されてきた。南アフリカという、欧米の美術動向から「孤立した」場にいたことについて質問したキャロライン・クリストフ‐バカルギエフ(2)に答えて、ケントリッジは次のように語っている。自分は美術学校にも行かなかったし、欧米の最新美術事情が話題になるような知的サークルの中にもいなかった。しかしニューヨーク・スクールの非具象【ルビ:ノンフィギュラティヴ】絵画を見ると、それはあまりに非政治的で、絵画を不可能にするものだと思えたし、コンセプチュアルアートときたら、もっとひどかった。ダダの狂気の方がまだましだと思った。ヨゼフ・ボイスの作品すら、南アフリカからみると甘いと思えた・・・(3)。
それでは、この日本という場所に身を置いたとき、欧米中心の歴史は、そしてケントリッジの作品は、どのように見えるだろうか? そうしたことを考えるとき、もっとも警戒すべきなのは、「日本は隔離された特殊な場所である」という固定観念だと、わたしは考える。かつて多くの知識人は「日本ではまだ個人が確立していない」などと近代主義的批判をしたし、今日では逆に「表層しかない日本文化こそクール」などといった痴呆的ナルシシズムが流行っているが、それらは実は「日本は特別」ということを前提する点で、結局、同じことなのではないだろうか? ケントリッジの作品内容を、南アフリカにおける白人の歴史的経験としてのみ理解し、「平和な日本からは想像もできない」などと言ってはいけない。「ポストコロニアル理論」(4)は美術について語るために有効だけれども、理論がその対象である問題ごと輸入されてしまったら、つまりそれが「外国にはこんな深刻な議論もある」といった知識に終わるとしたら、そんなもの、ちっとも「ポストコロニアル(脱‐植民地主義的)」ではない。視ることがつねに投影することでもあり、〈私〉とはつねに分裂と再統合の運動の中にあるという認識は、ケントリッジの作品を日本で視るというこの経験においてこそ、まさに本質的に重要となる。私たちが彼の作品に魅了されるのはなぜか? それはある意味で、私たち自身がソーホー・エクスタインであり、フェリックス・タイトルバウム(5)であるからなのだ。植民地主義の記憶、そして脱‐植民地化への希望は、私たち自身の内部にこそ、求められなければならない・・・だって私たちは本当に、かつて、まさにあの国で「白人」だったことがあるのだから。
(1) ケントリッジの発言については、『ウィリアム・ケントリッジ — 歩きながら歴史を考える』展カタログ(京都国立近代美術館、2009)を参照。
(2) ローマ、ニューヨークなどで活動するインディペンデント・キュレータ。
(3) Dan Cameron & J.M. Coetzee Carolyn Christov-Bakargiev, William Kentridge, (Phaidon Press Ltd., 1999) pp.13-14
(4) 近代西欧(及びそれを模倣した非西欧)の植民地主義が残した文化的影響を批判的に分析・解体する批評や理論の総称。
(5) いずれもケントリッジのドローイング、アニメーションにおける中心的登場人物。