『有毒女子通信』第9号の巻頭エッセイ書き出しです。購入ご希望の方は京都のVOICE GALLERY、あるいは吉岡まで直接ご連絡ください。)
なぜ〈お尻〉では特集にならないのか?
次の特集タイトル何にしましょう?ということで、松尾さんと話し合った。いろいろ雑談しているうちに、ある瞬間から一気に盛り上がって決定されたのが「お尻」というテーマであった。
まず思い出したのは、美術家の高嶺格と知り合った頃のことだ。たしか大垣市の居酒屋でIAMASの学生たちと飲み会をしている時だったと思うが、何かでいったん席を立って戻って来たぼくの身体を眺めながら高嶺は「吉岡さん、きれいなお尻してますね!」としみじみ言ったのである。周囲(とりわけ女子たち)の間で大爆笑になった。ぼくはその時、男が(ホモセクシュアルでない男から)そういう身体の誉められ方をされるのは、複雑にうれしいものだと理解したのを憶えている。聞いてみると高嶺君は、男女を問わずお尻に関してはかなりの批評眼(?)と一家言を備えた人物であり、それからひとしきり二人でお尻の話をした。
お尻の話というのは、たとえばこんなことである。
甲南大学に勤めていた頃、ゼミの卒業生が久しぶりに大学に訪ねて来て、いっしょに大学のレストランで昼ご飯を食べたことがある。そこは道に沿った2階にあり、窓際の席からは下を行き交う学生たちの姿がよく見えた。その頃、その卒業生はとび職の見習いのようなことをしていたのだが、大学で経験した社会とは何もかも違ってとても新鮮だと語る。それはどんなこと?と聞いたら、次のような話をしてくれた。「先生、たとえばこういう場所で男同士で飯喰いながら、道を通る女の身体を批評したりするでしょ? 学生の時やったら、顔可愛いとか、オッパイ大きいとか、脚きれいとかみんな言うてたんです。鳶職のお兄さんらは違う。顔とかオッパイとかも言うけど、いちばんの誉め言葉はそうやないんです。」「そしたら何?」「あのネエちゃん、ええケツしとるなぁ!これですわ。」
それを聞いてぼくは有名なイギリスの動物学者、デズモンド・モリスが唱えいてた「イミテーション説」というのを思い出した。人間の男の多くが女のオッパイに性的な魅力を感じるのは、それが尻の代用であるからだという、進化生物学上の仮説である。チンパンジーやニホンザルの雌は、発情するとお尻の性皮がプックリと膨れ、交尾可能という信号になる。人間は直立歩行したために、お尻にサインを出しても、遠くてよく見えない。だから大きなオッパイがそれを模倣して進化したというのである(モリスにはこのお尻の話以外にも、唇は女性器の代用であり、だから口紅を塗ることは発情サインの模倣であるという、さらに強烈な「イミテーション説」もある)。
進化行動学者たちの多くはこのイミテーション説を疑っている。女性のお尻と乳房とに共通する豊満な曲線が性的魅力になるのは、皮下脂肪の蓄積によるのであり、良好な栄養状態が繁殖力を意味するからだというのが、通説のようだ。ぼくは生物学者ではないので論争に加わる気はないのだが、芸術学者としての感想を述べるなら、この通説は真偽以前に面白くない。モリス博士にはかつて一度だけお目にかかったことがあるのだが、学問的にはもちろん、性的にも人並み外れた好奇心と精力にあふれた強烈な人物だった。まぁ言ってみれば「ドスケベ」なのである。その性格はこの仮説にも現れており、大半はマジメな学問オタクである進化生物学者たちは、たぶんその点が受け入れられないのだろう。
(続きは『有毒女子通信』第9号「特集:〈お尻〉では特集にならない」でお読みください。)