あーーー2ヶ月近くもサボってしまった。
新年度が始まるといろんな用事が容赦なく降りかかってきて、サボっていたというよりは、ブログのことを思い出さなかったという方が正確である(どっちでも結果は同じだけど)。
そんな中でも『有毒女子通信』9号「特集:〈お尻〉では特集にならない」は、がんばって出版した。これは松尾恵さんという相手のある仕事なので、お互いに「どうしましょう?そろそろ出さないとやばいよね」などと言い合うので思い出さざるをえないのだが、ブログやツイッターは自分だけのことのなので、少なくとも1ヶ月に一回は書こう、などと決めたとしても、その決めたことを忘れてしまう。
いや、本当のことを言うと、忘れてたのはたんに忙しさのためだけではないな。
情けない話であるが、記事によってアクセス数が何千と出たりすると、そんなにたくさんの人が見ているなら、ある程度まとまった内容のあることを書かないと悪いような気がしてくるのである。そう考えると書くのがおっくうになり、ブログの存在を意識から追いやろうとしてしまう。
これはいけない。プログというのは講義でも出版でも放送でもなくてただの独り言なんだからね。他人の独り言をのぞき見ることができる、というのがブログの面白さだと思うが、それは独り言だから面白いのであって、人の目を気にしてためになることを言おうとした瞬間につまらなくなる。内容のある事を書くより、続けることの方が重要なのである。
さて前回の記事は、記号学会対談のために鷲田清一さんを大谷大学に訪ねた後に書いたものだが、その対談「〈脱ぐこと〉の哲学と美学」も、もう先週のことになってしまった。
今回学会の会場となったので、六甲アイランドの神戸ファッション美術館を久しぶりに訪れた。この美術館がオープンした時、当時勤めていた甲南大学のゼミの学生たちといっしょに見学に行ったのを思い出した。埋め立て地の人口的風景をみて「エヴァンゲリオンみたい」とみんな言っていた。
ある時神戸市の人から「殺風景な埋め立て地を活性化するにはどうしたらいいでしょう?」と聞かれたので、「移民を受けれて商売させ、ここで世界中の雑貨や食べ物が手に入る特区にしたらいい、六甲ライナーの駅前に出入国ゲート作って、会社帰りのサラリーマンが『ちょっと夕飯ミャンマーで食べてくるわ』とかなったら面白いでしょ」とメチャクチャな提案をした。
それはともかく記号学会だが、実行委員長の小野原教子さんによる「着る、纏う、装う、そして脱ぐ」というテーマのもと、来場者も予想を越えて多く、たいへんすばらしい大会になった。シンポジウムの内容など、一見まとまりがないという感想も聞かれたが、ファッションやモードに限らず人間が何かを「着る/脱ぐ」ことの根元的意味に迫ろうとした企画意図からすれば、変に分かりやすいまとまりが付くよりよかったと思う。
「新聞女」西沢みゆきさんのパフォーマンスもよかった。僕は新聞で出来たジャケットをプレゼントされ、パフォーマンスの中に招き入れられ、「再び」頭や顔にマジックでイタズラ描きされてしまった。2003年「京都ビエンナーレ」のイベントで嶋本昭三さんたちと行ったシンポジウムの時以来である。新聞娘たちはあいかわらず可愛い。とても面白かった。
鷲田清一さんとの対談「〈脱ぐこと〉の哲学と美学」も、小野原さんが期待するように大会全体の締めくくりになりえたかどうかは分からないが、非常にリラックスして楽しく話すことができた。ただ、最後の方で鷲田さんが「〈国〉という衣服を着る/脱ぐ」という大きな話を出してくれたのに、それを発展させる時間がなかったのは残念であった。
ぼくは実はファッションのことはほとんど何も知らないのだが、鷲田さんの話から理解できたことは、衣服の制度性から逃れるためには、それを絶えずズラし続けてゆく(脱構築の永久革命)か、同定不能なほど多数多様な参照を行う(多文化主義)か、大きくふたつの戦略があるということだった。それで鷲田さんはどっちによりシンパシーを持ちますかと聞いたら、前者だと答えられた(と僕は記憶する)。
だとすれば、この点は僕も同意見だ。たんなる「多様性」に訴えることは、すでに市場原理の中にほぼ完全に吸収されており、政治的に中立化されていると思う。多様性のイメージは、「国家も文化もたまたま着ている衣服のようなものだ」という幻想を供給する、まさにその点において、「〈国〉という衣服を脱ぐ」には役に立たないのである。
国家という「衣服」は、ちょうど身体という「衣服」と同じように、簡単に脱ぐことはできない。その限りでは「衣服」という比喩はミスリーディングなのであるが、それでも身体や国家を「衣服」として考える理由は十分ある、と僕は思っているのである。そのことについては、あらためて考えてみたい。