【以下のテキストは、2012年3月3-4日、政策研究大学院大学で開催された「第2回世界メディア芸術コンベンションの冒頭で、座長による挨拶として話した原稿である。】
この「世界メディア芸術コンベンション」は、今回が2回目です。第1回は昨年の2月、「メディア芸術の地域性と普遍性(The Universality and Locality of Media Geijutsu)」というテーマで行われました。そこでは「メディア芸術」とい う概念、つまり英語の"Media Art(s)"とはけっして一致しない「メディア芸術」という日 本語をめぐって、様々な議論が行われました。これから始まる会議の英語名称 (ICOMAG)では明示されている4つの領域――マンガ、アニメーション、ゲーム、メ ディアアート――を包括するものとして作られた「メディア芸術」という概念を中心的な 問題とし、そうした言葉が生み出された背景にある近代日本文化の歴史的文脈を探ること を、そこでは試みました。
この記録の「後書き」に、私は次のように書きました。「メディア」という語は未 来を向いており、「芸術」という語は過去を向いている。この二つを合体させた「メディア芸術」とはいってみればヒュー・ロフティング(Hugh Lofting)の物語『ドリトル先 生』シリーズに登場する空想上の動物「オシツオサレツ」("Pushmi-pullyu")のような ものであり、ふたつの頭が反対の方向をむいているために、どちらにも行け ず立ち往生してしまう。けれども、オシツオサレツには優れた点もあり、それは片方の頭が眠っている時ももう片方は目覚めているので、状況の変化にとても敏感である、ということです。
矛盾や不整合を内包した概念は、敏感でもあります。第1回の会議における議論を通し て到達されたひとつの重要な結論は、この「メディア芸術」という言葉が、矛盾を含むが ゆえに持っているある種の敏感さを、保持してゆくべきであるということだと、わたしは 理解しています。そのことが、この第2回目の会議においても座長という役割を引き受け ることに同意した最大の動機かもしれません。
さて、昨年2月のこの会議の1ヶ月後、日本は未曾有の危機に直面しました。昨年3月 11日の午後、わたしは、やはり「メディア芸術」関係の別な会議のために、六本木ヒル ズの49階にある会議室にいました。高層ビルの上層階で震度5強の地震に遭遇する経験 ははじめてでしたが、そのことにも増して、なすすべもなく窓から東京の街を見下ろしている時、そこから倒壊するビル群を目撃するのではないかといった不安を感じ、そしてい くつかの映像的記憶のフラッシュバックを体験しました。 それは、ハリウッドのパニック映画や「9・11」の映像であると共に、かつて読んだ り観たりしたマンガやアニメーションの場面でもありました。たとえば大友克洋の『童 夢』(1983)とか、『アキラ』(1983-1994、映画は1988年)のような作品です。それらの中では、壊滅的な都市破壊のイメージが、超能力を持つ子供という設 定を通じて、内的な空想と結合されています。わたしが言いたいのは、マンガやアニメー ションの経験は単なる娯楽ではないということです。
もちろんマンガやアニメーションは リアリスティックに世界を描写したものではなく、極端な誇張やあり得ない状況設定を用 い、「これは現実ではない」という表面的なメッセージによって私たちの警戒を解くので すが、まさにそれゆえに、それらのイメージは私たちの意識をすり抜けて空想や欲望の深いレベルに訴え、結果的には私たちの思考や行動に大きな影響を及ぼしているのだと思い ます。
さて巨大な地震と津波、それに続く原子力発電所の事故によって、日本社会の雰囲気は 一変しました。それは今も継続しています。震災直後の数週間は、こんな状況の中で芸術 や文化について一体何を考えることができるのか、途方にくれていました。このような非 常事態においても集団的な略奪が横行したりしなかったことで世界は日本社会の規律や秩 序を誉め讃えましたが、その反面、互いに率直な発言を抑制し合ったり、非難されること を恐れて沈黙するといった、日本社会に以前から存在していた傾向も強くなりました。とりわけネット上の言説空間は殺伐としたものになりました。
そんな状況の中で、とにかく話し合う場を持った方がよいと思い、昨年7月23日に京都芸術センターで「3・11以後――芸術の運命」という催しを開きました。これは音楽 学者の岡田暁生さんの発案により、コンピュータ音楽の三輪眞弘さんと、わたしとの3人 で行ったシンポジウムです。その広報のために、わたしのかつての卒業生で あるメディアアーティストの阿部由布子さんにチラシをデザインしてもらいました。彼女 は宮城県の海岸地域の出身であり、実家は津波で大きな被害を受けた塩竃という街にあり ました。ここに使われているのは彼女が津波の後に制作しある展覧会に出展した「作品」 です。ガラスの瓶に入れられているのは、津波で全壊した家の床下から出てきた大工道具 などです。とにかく今はこれしか作れないということで出展されていたのを観て、この催 しのチラシに使ってほしいと依頼しました。(ちなみに阿部由布子さんは、津波で壊滅した宮城県七里ヶ浜の海浜公園に巨大な回転灯篭を3月11日から一週間にわ たって設置されます。 )
7月23日のシンポジウムにおいて私たちが議論したことのひとつは、現代社会におい ては音楽や美術、さらにはマンガやアニメーションをも含む広い意味での芸術文化は、 けっして衰退しているようには見えないのに、それらは社会一般において私たちが世界観 や人生観を共有しうる媒体(メディウム)としては、いつの頃からかうまく機能しなく なってしまったということです。つまり、ファインアートであれポピュラーなあるいはサブカルチャー的なものであれ、それぞれ多様化し細分化された表現領域や愛好者の共同体が数多く 存在するだけで、それらを横断的に結びつける言説や議論が存在しない。現代美術であれアニメであれ、私たちは、それらについて語ることとはすなわち「事情通」になること、 つまりその共同体特有の言語や行動規範を習得することと同じだと考えているのです。
しかし、事態は常にそうであったわけではありません。40年前、わたしが子供であっ た頃は、美術や音楽であれ、マンガやアニメーションであれ、現在と比べると規模は小さ なものでしたが、にもかかわらず現在よりは「共有」されていました。ここで「共有」と いうのは多くの人がそれを愛好するとか、それについての評価や意見を同じくするという 意味ではありません。そうではなくて、人々が自分の属している時代や社会を全体として 理解するために、想像力を働かせる手がかりとして機能するということです。たとえば、 わたしが子供の時に経験したマンガやアニメでは、ロボットやサイボーグのヒーローの多 くは原子力によって駆動されていました。一方彼らが闘う敵もまた、人間の行った核実験 によって巨大化したモンスターであり、従ってそれらは悪役とはいっても、そこには人間 に対する自然の復讐という意味もあった。だから物語の表層では、いわば善なる原子力と悪の原子力との闘いなのですが、最後に善が勝利して地球に平和が回復されても、割り切 れない思いや悲哀の感情が残った。これが、日本が原子力発電所を建造しはじめた196 0年代において共有されていた想像力の一側面でした。 こうした議論の内容は、『アルテス』という雑誌の創刊号に掲載されまし た。
さてこのシンポジウムから二週間後、わたしは横浜で開催された3日間に及ぶ会議「ク シシュトフ・ヴォディチコ:アートと戦争」に参加しました。これは、横浜 国立大学の室井尚さんを中心に企画・運営された催しです。というよりもこれは、その前 年に来日されたポーランド出身の美術作家クシュシトフ・ヴォディチコさんと、室井尚さ んとの継続的な対話の結果として実現した出来事でした。その内容は、ヴォディチコさん が近年関わってきた「戦争廃絶のための世界協会(The world Institute for the Abolition of War)」というプロジェクトを中心とする3日間にわたる国際会議と、 ヴォディチコさんの近作「War Veteran Vehicle」を基にしてそこに東北大震災の被災者 の人々の生の声を盛り込んだ「サバイバル・プロジェクション2011」というパブリッ ク・プロジェクションの上映です。当初は、アメリカの退役軍人の声を用いた作品「War Veteran Vehicle」を日本で公開する予定であったのが、3月の大震災と津波の後、被災 者の人たちに取材した声の部分を加えて全体を「Survival Projection 2011」として公開 することになりました。
この判断――つまり元の作品内容とは直接関係のない日本の被災者の人たちの言葉を盛 り込むこと――が正しかったと、わたしにはいまだに合理的に説明することはできませ ん。けれども確かなことは、上映された作品の印象はいまだに強く残っていること、その 中のいくつかの言葉は今でもわたしの頭の中に反響しているということです。たとえば津 波によって壊滅的な被害を受けた東北地方のある街の美術館で働いている男性は、次のよ うに語りました。彼は、ようするに「どうするんだ?」と言うのです。つまり現代美術で あれメディアアートであれ、そうした地方の美術館でそれまで「最先端」として紹介して きたアートとか文化といったものと、今この眼の前の現実との途方もないかけ離れ方を、 いったいどう考えたらいいんだ?ということです。
大災害が起こった直後は、アートどころではなくなるのは当たり前だ――それはそうか もしれません。しかし、わたしが言いたいのはそういうことではない。そうではなくて、 この人の語った「どうするんだ?」という言葉、その言葉の背後にある感情、思いを共有 できるかどうか、ということです。こうした受苦の思い(Passion)を共有することは、 社会にとってきわめて重要なことであると思います。そうした共有可能性こそが、結局は 創造活動を根元で駆動しているものでもあります。「現代アート」であれ「メディア芸 術」であれ、社会的機能を剥奪されて政治やビジネスの手段となってしまったら、一時的 には資金が流れるかもしれませんが、やがては想像力は枯渇し衰退していきます。今回わたしがこの会議を企画するに当たって、マンガとアニメーションに関して「共有」という テーマを考えたことには、そうした背景があります。
わたしは何も、深刻な顔をすべきだと言っているのではありません。そうではなくて、いわば「事情通」ぶるのをやめて他分野の人々と率直に話し合う機会を作り出そうと言っているので す。言い換えれば、芸術や文化をすでに出来上がった「コンテンツ」として取り扱うかわりに、それらが産出され享受される社会的文脈に議論を開いてゆくべきだということで す。わたしは、昨年の10月末から11月にかけて京都で開催された「メディア芸術祭京都展」の企画にも関わってきました。これは「メディア芸術祭」に出展され た、また受賞した作品を中心に東京以外の場所で展示やイベントを行うという趣旨のもの ですが、わたしはそれをたんに「メディア芸術祭」を宣伝するための地方展として開催す ることには何の関心もありませんでした。といってもそれは、東京中心の考 え方に反対しているからではなくて、そもそも文化というものは、パッケージ化してその まま他の場所に持って行って見せる、といったことはできないと思うからです。それで京 都での展示のために「パラレルワールド・京都」というコンセプトを設定し、その中に 「メディア芸術祭」を接合するという試みを行いました。
こんなことはまあ、ほんのささやかな工夫なのですが、それでもそうしたことが必要なのは、 「祝祭(festival)」というのはたんなる「見本市(trade fair)」 ではないと思ってい るからです。たんに優れた作品を集めればよいフェスティバルができるのではない。フェ スティバルにとって本質的なことは、そこであれこれの展示物を観ることではなく、たと え一時的にであれ多くの人がその場所を共有するということなのです。
さて、これから始まる会議の企画は、わたしにとって、この一年間行ってきた仕事の締 めくくりのようなものです。この会議の趣旨は、「共有地」(コモンズ)という概念に、 より象徴的な意味、芸術的で文化的な意味を付け加えることによって、マンガとアニメー ションについてあらためて考えてみようというものです。「コモンズ」という言葉は現 在、ある対象や場所を利用する権利、とりわけ知的財産権という文脈で論じられることが 多いことは、ご存じの通りです。そうした議論はもちろん重要なものですが、問題となっ ている対象が芸術的なもの、つまり人間の想像力や創造性を反映し、それを通じて社会的 な機能を果たすような対象である場合には、それを使用する権利というレベルでの「共 有」の議論だけでは、十分ではありません。共有可能性は対象の質や価値のレベルでも考 えられるべきであり、したがって根本的な意味における、言説的・批評的な媒介が必要となります。
日本のマンガやアニメーションについては、それらが日本文化のユニークな特質を反映 しているというような、本質主義的な理解が、いまだに支配的であると思われます。わた しはこの会議が、この問題を、より文化横断的な共有可能性という視点からとらえ直す きっかけになることを望んでいます。と同時にわたしは、「共有」ということを単に数値 的な問題に還元することに対しても、批判的な距離をとりたいと考えています。販売個数 や入場者数、サイトのアクセス数やネット動画の再生回数等といった数値だけが、「共 有」を保証するものではありません。数値として抽象化された「共有」と並んで、高い強 度を持つ濃密な「共有」の可能性にも眼を向ける必要があります。そうした観点からこの 会議においては、マンガとアニメーションそれぞれに関わる共同体の境界はもちろん、 ローカルなものとグローバルなもの、実験的・先鋭的なものと商業的に成功しているものとの、単純な対立を乗り越えて議論したいというのが、わたしの希望です。