歳を経ることが成熟を意味しなくなってから久しい。
歴史の終焉。歴史が終われば、〈歴史反転機〉としてのタイムマシンだって、おはらいばこだ。
それは古びたモーターバイクのように、油臭い車庫に放置されたまま、埃をかぶっている。ぼくはそのマシンを、自分自身のように感じている。
かつて過去への通路であった機械——今はそれ自体が過去になった。
時間旅行(タイムトラベル)もまた、もうそれだけではドラマを産み出さない。
かつて時間旅行のヒロインであった少女も、ただそのまま歳をとった。
パラドクサ(逆説)がドクサ(臆見)となるような現実。
科学がロマンでありえたのは、科学とは縁のない生活が許されていた時だけだったのだ。