昨日の続きである。それにしても内容は昨年の回顧なのになぜタイトルを「新しい年」としてしまったのか? それは、昨年もまた「新しい年」だったということだろう。「新しさ」とは反復の作り出す効果にほかならない、ということである。たぶん。
2011年8月は、横浜国立大学の室井尚さんの組織するシンポジウム「クシシュトフ・ヴォディチコ:アートと戦争」に参加した。たんに参加というよりぼくは企画立案にも一部関わっていたのだが、運営の実務は彼の主催する「北仲スクール」そして「劇団唐ゼミ★」のメンバーが献身的に立ち働いてくれたおかげで、真夏の3日間、議論に集中することができた。この会議の内容は何らかの形で出版する予定になっているが、今年編集作業を進めて、たぶん日の目をみるのは来年になると思う。日本語の本になるか英語だけの本になるかも未定である。
このシンポジウムがきっかけで多くの人との出会いがあった。まずゲストのクシシュトフ・ヴォディチコ氏とは、これまでも何度か会って挨拶を交わすことはあったが、こんなに長い時間いっしょにいて話すのははじめてだった。大澤真幸さんと会うのも久しぶりである。鎌田東二さんとはこの2年間ほど、彼の主催する研究会で話す機会はあったが、今回のようなハードな議論をするのははじめてだった。もちろんこれまで会ったことがなかった建築家や美術家の人たちとも話す機会があった。ヴォディチコ夫人のエヴァ、戦争廃絶の可能性を人類学者として訴えるダグラス・フライ氏とも今回はじめてだった。
3日間の横浜の後、何人かは仙台に移動し「せんだいメディアテーク」において作品上映とミニ・トークを行った。地震と津波の後、仙台を訪れたのは2度目である。海岸地帯の瓦礫の山はかなり撤去され景色は変わっていたが、そうした人間の営為とは別に、今回は夏草が一面に覆っていた。浜辺の松は枯れているのに、雑草は驚くべき生命力で、海水を浴びた大地からまるで何事もなかったかのように生い茂り、津波の傷跡を隠してしまっていた。
そして忘れられないのは、仙台の明くる日、ヴォディチコ氏夫妻、室井さん、秋田公立美術短期大学の阿部由布子さんたちと共に、東北の被災地を車で訪問したことである。今回の彼のパブリック・プロジェクション作品「Project for Survival 2011」のためにインタヴューに応じてくれた被災者の方たちにお礼と報告をするために、気仙沼、陸前高田を車で訪れた。日帰りだったので朝出発しても帰りは深夜近くなったが、車中でヴォディチコ氏と互いの幼年時代の記憶などを話し合った。彼の記憶は、もちろんソヴィエト支配下のワルシャワでのものであり、ぼくのは昭和30年代の京都だが、彼は不思議な話術を持っているので、一日の疲れも手伝って話しているうちに互いの記憶の視覚イメージが重なり合い、自分で話ながら現実か空想か分からないようなものになってしまった。
仙台はさらに10月、東北大学で開催される美学会全国大会のために訪れた。学会といえばぼくは現在日本記号学会会長と美学会副会長をしていて、これまでみたいに、学会なんて興味のある時だけ遊びに行けばいいや、というようなわけにはいかなくなってしまった。昨日の記事で言い忘れたが、2011年5月には東京の九段にある二松学舎大学で松本健太郎さんを実行委員長として「ゲーム化する世界」が開催された。今年は小野原教子さんの主導で、神戸ファッション美術館で開催する予定である。また10月には京都大学で美学会の全国大会があるが、ほとんど同時期に中国の南京で国際記号学会があり、こちらも日本記号学会会長なのだから一日でも来いと言われている。学会というものがこれほど責務として襲ってくるとは、5年くらい前までは予想しなかった。
10月の終わりには、先述の阿部由布子さんが関わる秋田県角館における美術イベント「ネオクラシック角館」に招待された。角館を訪れるのはぼくは初めてだったが、とても良い街である。「ネオクラシック」とはこの街に多くの「蔵」が残されているので、それらを展示スペースとして利用するというコンセプトから命名されたタイトルである。
秋田から帰ってくるとまもなく、「文化庁メディア芸術祭京都展」がスタートした。この「メディア芸術祭京都展」、昨年は「BEACON 2010」の展示で、いわばアーティストとして招待される側だったのだが、今回はプロジェクトチームのメンバーとして「パラレルワールド・京都」というメインテーマを立案し、かなりの部分を企画したので出番も多く、それがきっかけでいろんな人とも出会えて楽しかった。しかし大学の講義もありかなりハードではあった。11月下旬のエンディングにもトークやシンポジウムなどが集中したが、さいわい京大は11月祭で少し助かった。
そして12月初旬は、スウェーデンのヴェクショーという街にあるリネウス大学という所に短期出張した。これは映像研究者のイヴォンヌ・シュピールマンが主催する国際ワークショップで、日本からはメディアアーティストの藤幡正樹さん、逢坂卓郎さんと共に招待された。他には韓国、香港、マレーシア、シンガポールからキュレータや研究者、そしてデンマークとスウェーデンの研究者たちが参加した。非公開のワークショップで、冬至に近い北欧の大学に3日間こもってメディアアート、メディア文化について議論するというものである。とにかく外は寒いし暗いので、室内で活動するしかないという環境。しかし泊まっていたホテルのすぐ近所に、18世紀の植物学者カール・リンネが最初に通った学校のあった場所があり、それを観に行ったのが今回ワークショップ以外で行った唯一の「観光」?だろうか。
わずか5日間(現地滞在3日間)の出張だったが、帰りが危機一髪だった。ヴェクショーはストックホルムからは遠いので、飛行機はコペンハーゲンまで乗ってそこから汽車で2時間くらい行くのだが、帰りの汽車の出発が遅れ、しかも途中でバスでの搬送に変更になった。そんな重要なことのアナウンスが、なんとスウェーデン語でしか流れない。周囲の人が落胆しざわつき始めたので、近くの人に尋ねてやっと状況が分かった。北欧は英語の話せる人が多いので、誰かに聞けということだろうか。線路がメンテナンスの不良で一部通行不能の状態になっているらしい。それでそこをバスで搬送し、その後また汽車に乗り換えて、何とかコペンハーゲン空港の搭乗時間には間に合った。
学校ではスウェーデンは理想的な社会保障国家と教わったから、鉄道のようなインフラもきっちりしているだろうという先入観があった。聞いてみると、社会保障も今は国が直接やっているわけではなく、ぜんぶ民間に丸投げしているらしい。鉄道は?と聞くと、線路は国が保有し、車両は民間なのだそうである。そしてその線路の保守管理がなっていないのだそうだ。アナウンスの直後、車中はざわついたが驚いた様子の人はなく、「またか」という落胆の雰囲気だったので、「よくあるのですか、こんなこと?」と聞いたら「しょっちょうだよ」という返事だった。
これらの他にも面白いことはたくさんあり、省略してしまったけど、そんなこんなで2011年は終わった。ほらね、確かにそれまで行ったことのない場所に行ったり、会ったことのない人に会うという「新しい年」ではあったのだけれど、こうして回顧してみると、やはり同じ一年の繰り返しには違いない。