1月7日(土)は、何人かの学生たちと愛知県美術館に「ジャクソン・ポロック」展を観に行った。日本でこれほど多くのポロック作品を年代順に観たのは、僕もはじめてであった。自分にとって、しばしば「後退」と位置づけられる1950年以降の彼の作品が意外に面白いことを発見できた、その意味でも有意義な展覧会だった。
ポロックの「オールオーバー」絵画は、数ある現代美術のなかでもとりわけ、「分かる」「分からない」という事が問題になってきた作品群である。
「分かる」「分からない」が問題になるという点では、セザンヌもそうだし、ピカソもそうだ。でも近代美術がすべてそうであるわけではない。ルノワールやゴッホについて人は「分かる」「分からない」という語り方をあまりしない。むしろ「好き」とか「嫌い」と言う。「好き」「嫌い」が言えるということは、少なくとも「分かって」はいるのだろう。
それに対してポロックは、そもそも絵が「分からない」とはどういうことか?という問題をもっとも鋭く提起した美術家であると言える。
さて絵が「分からない」には大きく分けて、「何が描いてあるのか分からない」と、「それで何が言いたいのか分からない」という、ふたつの意味がある。
装飾的図像は前者である。セザンヌやピカソは後者である。ポロックは両方である。つまり何が描いてあるのかも分からないし、それで何が言いたいのかも分からない。ようするに「絵が分からない」が徹底しているのである。モダニズムとは言ってみれば「絵が分からない」を徹底して追求することであり、その意味でポロックはモダニズムの完成者だと言える。
だが人間は分からないものが大好きだ。分からなければ分からないほど分かろうとするし、そして大抵のものは分かってしまう。これは、骨の髄まで記号・シンボルに侵されたこの生き物の宿命だね。人間の苦しみは、この世に分からない事がたくさんあるからではなく、あまりにも多くの事が分かってしまうところから来るのである。
だからポロックの作品を「分かる」ことももちろんできる。その「分かり方」を一番うまく解説したのは、クレメント・グリーンバーグという批評家である。とはいえ、抽象絵画が「分かる」というのは、解けなかった数学の問題がやっと解けた、というような事とは根本的に違う。優れた批評的テキストを読んで理解しても、それで「分からなさ」が解消するわけではない。
私たちは何というか、「分からなさ」を引き摺ったまま「分かる」という状態に到達するのである。抽象絵画が「分かる」とは合理的な理解や納得ではなく、そこにはある種の身体的跳躍、意識のモード変更といったものが含まれている。それはどこか禅の公案にも似ている。抽象絵画が分かるとは、自分が「抽象絵画が分かる」という状態に移行しようと、全身体的に決断することなのである。それは可能であり、そしてとてつもなく困難なことでもない。
そうした意識のモード変更は、人間的知性の柔軟性を示す重要な現象である、とぼくは思っている。だが「モダニズム」はこれまで、このモード変更を神秘化し秘教化してきた。抽象絵画が「分かる」ことを特権化しすぎてきたのである。それはまるでフリーメイソンの入信儀礼のようなものとして扱われてきた。そしてジャクソン・ポロックは、そうした儀礼の究極的な祭具として重要視されてきたのである。
しかしもう潮時だろう、とぼくは思う。若いポロックはアメリカ・インディアンの砂絵に影響を受けた。今度はポロックと、ポロックを頂点とする現代美術の総体が、(広義における)人類学的な視野において考察されるべき番ではないだろうか。それによって現代美術は、未来へと命をつなぐのである。それが、2012年においてポロックを観る意味ではないだろうか。