イギリス人の循環器医アスィム・マルホトラ(Aseem Malhotra)は、糖質の摂取過剰など現代食の危険について警鐘を発してきた著名な医者であるが、近頃 Journal of Insurin Resistance という医学雑誌に発表した論文:
- Vol 5, No 1 (2022) - Review Article
Curing the pandemic of misinformation on COVID-19 mRNA vaccines through real evidence-based medicine - Part 1
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Curing the pandemic of misinformation on COVID-19 mRNA vaccines through real evidence-based medicine - Part 2
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において、新型コロナ自体のパンデミックではなく、新型コロナに対するワクチン(と呼ばれているもの)に関する誤情報のパンデミックを治療することの方が、はるかに重要であることを論証している。そこで、mRNAワクチンの接種は、高齢者や慢性疾患の患者をのぞけば、メリットよりも弊害の方が多いことを、客観的なデータを元にして啓発している。同誌のオンライン版にはYouTube動画へのリンクもあり、そこでマルホトラ博士自身が自分の論文のポイントを解説している。
https://insulinresistance.org/index.php/jir
ワクチン接種の危険を訴える専門家たちは、多くの国の(とりわけ日本の)メインストリーム・メディアからは故意に無視されてきたが、今回の感染症騒ぎの初期から、日本を含む世界中で活発に発言してきた。だがマルホトラ博士に関して注目すべき点は、彼がきわめて有名な医師であり、そして以前にはワクチン接種に積極的な立場をとり、人々の行動に大きな影響を与えてきた人物であるということである。彼はなぜ、自説を180度転換したのであろうか?
彼はいくつかの講演やインタビューにおいて、ワクチンの弊害を疑わせる事実に関して専門家たちが「故意の無視(wilful blindness)」に陥ることについて語っている。そして自分自身もワクチンの有害性事例を「故意に無視」していた、と告白する。この wilful blindness というのは法律用語で、それを知っていることが自分にとって不利になるような事実に対して、わざと気づかないふりをすることを意味する。だがこの「わざと」がどれくらい意識的であるかについては、程度の差があるだろう。
医学研究者が行う「故意の無視」の原因としてマルホトラ博士が指摘するのは、ワクチンに対してネガティブな結論を出す研究を行うと、製薬会社からの資金が削減されたり停止されたりする可能性があることである。だが、個々の研究者がどこまで「この事象について調べると研究資金がなくなるから、これは見なかったことにしよう」と意識しているかは分からない。事態はもっと複雑で、自分が無視したということを無視し、記憶から抹消しているかもしれない。また専門的研究者というのは一般に政治的にはナイーブなので、その分野の慣習や周囲の同僚の意見に従っているうちに、知らない間に「故意の無視」に陥っている場合もあるかもしれない(「知らない間に故意」というのは矛盾だが)。
故意の無視という状態から目覚めたきっかけには個人的な悲劇がある、とマルホトラ博士は語る。健康だった彼の父がこの7月に、73歳で亡くなったのである。けれども死の直後はまだ、彼は父の死をワクチン接種と結びつけて考えることはしなかった。けれども死体を解剖してみると、循環器の専門家である彼にとって、それまでの父の健康状態からは考えられないような血栓を発見したのである。
そうした個人的な経験がきっかけになったことは嘘ではないと思う。また、ワクチン接種の方が新型コロナ感染よりも危険であるという現在の彼の主張が、専門家としての良心からなされていることも疑うつもりはない。けれども同時に、次のような事情も十分考えられる。ワクチンの有害性を示す統計的なデータや医学的な研究は、どんどん蓄積しつつある。現在はまだ専門的な雑誌や一部の一般誌(日本では『女性セブン』や『プレジデント』)に留まっており、メインストリームの新聞やテレビではワクチン被害の現状を示す情報は抑制されているが、まもなく押し留めようがなくなるポイントが来ることは確実である。
これまでワクチンを推奨していた専門家や政治家はどうすればよいか。わたしがもしその立場に置かれたら、自分自身の良心という動機と同時に、どこまで意識するかはともかく、損得計算もしてしまうのではないかと想像する。マルホトラ博士のように過去の自分の発言が誤っていたと認めるのは、非難を受け自分の評判を落とすダメージを伴うが、もしもそれに固執し意見を変えなければ、やがて全体的なターニングポイントが到来したとき、もっと壊滅的なダメージを受ける。そうであればなるべく早く「転向」しておいた方が、まだ若く著名人である彼にとって、相対的にダメージを少なくすることができる。
こんな言い方は皮肉すぎてひどい、と感じる人がいるかもしれない。誤解を避けるために言えば、わたしはマルホトラ博士のような人を尊敬する。たとえそうした計算があったからといって、それはその人が良心を持たないということにはならないと思う。世界には良心のみに基づいて行動する高潔な人物ももちろん存在するが、私たちのほとんどは100%倫理的に生きることなどできず、良心と計算とはいろんな度合いで混在しているのではないだろうか。だからこそ私たちの多くは「故意の無視」のような状況に陥ってしまうのである。
だがそうだとすると、そこから地獄のような恐ろしいケースも考えられる。つまり、もしも「転向」するよりも、虚偽と知りながら自分の「正しさ」に固執する方が、自分にとって利益になるような状況であればどうなるか。たとえばすでに高齢で、近い将来自分が専門家や政治家として失脚するとしても、その敗北の瞬間まで嘘をつき続けた方が、全体としては自己利益が多いと考えられる場合である。それは滅亡に向かう絶望的な行進であり、その本人が滅びるのは勝手だが、それが権力や影響力を持つ人物であった場合、多くの人々が道連れにされてしまう。
このことを想像するのは心底恐ろしく、信仰心の乏しいわたしも、神が全てをご覧になっていますように! と叫びたくなるのである。