今日、マスクを付けずに電車に乗ってみた。京都市地下鉄東西線の「山科」〜「京都市役所前」間です。
厚生労働省も屋外ではマスクを外すことを推奨しており、屋内でも距離がとれ会話のない状況では必要ないと言っているので、国の方針に従っただけです。
もちろん、マスク着用は法的強制ではないと同様、マスクを付けるのも自由です。
コロナ以前から病気でもないのにマスクをしている若者とかいました。
そしてマスクをすることの快感、というか、自分を隠す、アノニマスな存在になるということの気持ちよさも、分からないではない。
しかし今の状況はそんな個人的自由といったことからは程遠いですね。
屋外でほとんどの人の歩いていない道や、一人で車を運転している人でもマスクをしています。これは自分の好きでやってるのではない。
さて、マスクなしで電車に乗ったらどうなるかと思ったが、特にドラマチックなことは何も起こりませんでした。
駅員の目に入るところを意図的に歩いてみたが、注意されることはありませんでした。
車内で周りを見渡すと、マスクをしていない僕をジロリと一瞬睨む人は何人かいたが、にこやかに見返すと、目を逸らしました。
全体的にみると、非難はしないけど、あんただけなんでそんなことするの、というような集団的な雰囲気を感じた。気持ちはわかるけど、やめてほしい、というプレッシャーを感じた。
そして、その時の自分の内的な気分をスキャンしてみると、電車の中で自分だけマスクしていないという状況は本当に辛く、怖い。それは自分の弱さでもあると思うが、この人たちに突然襲いかかれれて殺されるのではないかと思った。
突飛に思われるかもしれないが、これが天皇制ということなのかな、とも感じた。つまり、天皇陛下がマスクしているからなのかもしれない、と。バイデン大統領も岸田総理とはノーマスクだったけど天皇陛下とはマスクして会見しましたからね。
だとすれば、天皇陛下が「もう終わりました」と宣言されればいいのではないか、つまり「玉音放送」があれば全てが変わるのでは、とも考えたが、まあそんなに単純なことでもないですね。