すでにいろんな所で口頭では話したことだけど、もう10年も経つのでここにも簡単に記しておくことにしよう。このブログは2012年から書いているので、「その日」の記録はここにはない。Twitterにはリアルな報告をしたように記憶するのだが、そのアカウントは自分のワガママで消してしまった。
10年前、僕は文化庁メディア芸術祭に関連した「世界メディア芸術国際会議」という催しの座長を3年間勤めていた。それで「その日」はそれに関連する会議があったので、六本木ヒルズの49階にある会議室に行っていた。メディアアーティストの藤幡正樹さんや、当時の文化庁長官である近藤誠一さんも一緒だった。
会議の始まる直前くらいの時間に大きな揺れが来て、何しろ高層階なので地上とは違い、ゆっくりと大きな振れ幅で、地震そのものがおさまった後も20分くらいは続いたように記憶する。最初の瞬間は恐怖というより「あ、ついに来た」というような感じで、もちろん東北が震源とは知らず、こんな大きな揺れは経験したことがなかったから、東京が震源だろうと思った。
何分か経ったあとだんだんと怖くなってきて、みんな窓の外を眺めていた。他の人は何を思っていたか分からないが、僕は東京を見下ろすこんな高所から、どこかの建物が崩れたり、火の手が上がったりするのを目撃するのが怖かった。そうしたら六本木ヒルズの建設にも関わった建築の専門家が、「皆さん心配ありません、東京中のビルが倒壊してもここは大丈夫です」と言った。今から思うと彼も怖かったのだろうと思う。
しかし僕はそれを聞いて、恐怖が十倍になった。こんな場所から東京中のビルが倒壊する風景を目撃するなんて、想像するのも恐ろしい。と同時に、自分の頭の中では過去に見た壮大な都市破壊のカタストロフィックな映像が、何重にもフラッシュバックした。それは、ハリウッドのパニック映画であるよりも、大友克洋など日本の漫画やアニメのイメージであった。
揺れがようやくおさまって、見たところ建物の倒壊も火事も見当たらないので一安心したら、どこからかヒューーという、狭い所を風が通るような音が聞こえはじめ、家ではこんな隙間風の音を聞くことはあるけれど、こんな最先端の高層ビルでどこで風が漏れているのだろう、と思った。たぶん、窓枠のどこか一部が振動でズレて隙間が空いているのだろうということだった。
携帯電話は通じなくなり、インターネットも使えなくなったので、隣の部屋にある大画面のテレビを観に行った。そこではじめて、震源は東京ではなく東北であり、そしてニュースの映像は、地震の揺れそれ自体よりも恐ろしい津波の状況を伝えはじめていた。予定されていた会議はもちろん中止になり、出席者は可能なら帰宅してくださいと言われた。
だが地上に降りるエレベータは停止しており復旧の目処は立たない。もし49階から階段に地上に降りたらどれくらいかかりますか? と聞いたら、30分くらいでしょうと言われた。そして地上に降りても、地下鉄などの公共交通機関は止まっているので帰ることはできない。とりあえず、エレベータの復旧を待つことにした。
夕方になって、空が異常に暗くなってきた。まだ日暮れの時刻ではなく、天気も曇りの予報は出ていないのに、空には暗い雲が一面に広がってきた。それは、本当に恐ろしい光景だった。気仙沼などの火災によって上空に溜まった大量の煙が、何時間か後に東京に流れてきたのではないかと思う。
午後7時半頃になって、ようやくエレベータの一つが動くという連絡を受けた。それで、同じ会議に参加していた京都精華大学の島本浣さんと、とりあえず宿泊予定であったホテルまで歩いて帰ることにした。徒歩でどれくらいかかるのかスマホで調べると30分くらいと出たが、実際には混雑した人混みを分けて進むような道のりだったので、2時間近くかかった。
何も食べていないのでお腹が空いてきたが、歩く道沿いのお店やコンビニは臨時休業の札がかかっているところが多かった。ようやく宿に着いてチェックインを済ませたら、ロビーには帰宅できない人たちが溜まりはじめ、毛布をもらって床に横になっている人もいた。島本さんと僕は近くで何か食べられる所を探しに出たが、奇跡的にすぐ近くのレストランが営業していた。
それは、ドイツ料理のお店で地下にあるレストランだった。狭い階段を降りていかなければならないのだが、その途上にもひっきりなしに余震が来ていて、僕は正直、地下には降りたくなかった。テーブルについてワインを一杯飲んだら少し落ちついた。その後何を食べたかは憶えていないが、1時間くらいで出たように思う。ホテルの部屋に戻っても、10分おきくらいに揺れが続いていた。やっと電話が通じるようになり、京都ではほとんど実質的な被害はなかったことを知った。
この経験はもちろん、東北の被災地で直接、大地の怒りの脅威を経験した人たちに比べれば、まるで映像越しに見ているようなものではある。けれどもこの日、東京のド真ん中で地上200メートルから眺めた風景が、目に焼き付いている。たしかにそこから、現実に何かが崩壊する光景を目撃したわけではないが、本当は、何かとてつもない大きな崩壊を目の当たりにしていたのではないのだろうかと、今は思う。