東京オリンピックのロゴが、「盗用」だとして話題になっている。
状況からして意識的な盗用とはとても思えないのだが、それはともかく、あまり明るい未来を感じさせるデザインではないことは確かだ。見ても元気が出ない。けれども東京オリンピックを巻き込ん行われているさまざまな駆け引きや、その背景である現代日本の政治的状況を考えるなら、日本人の多くが現在感じている閉塞感を忠実に表現した図像であるとは言える。だから批評的な意味では優れたデザインである。オリンピックのロゴなどという、もっとも批評性が求められない場所に、あえてこうしたデザインを出してくるのはひとつの才能かもしれない。
とにかく人は盗用、盗作のスキャンダルが好きである。オリジナルだと思われていたものを過去の先例と並べてみると、たしかに似ていると感じられるものはたくさんある。それにしても、なぜ私たちはそうした話題を好むのだろうか? 韓国、中国、東南アジアの国々を訪れると、日本のマンガやアニメ、商品デザイン、店舗、等々にそっくりなものがたくさん眼に入ってくる。それらの著作権や商標権を所有している人々が問題化する理由は分かるが、私たちの多くは自分には何の利害もないのだから放っておけばいいようなものなのに、それらをケシカランと思ったり面白いと感じたりする。こうした感情的反応の理由はなんだろうか?
それは、私たち自身がかつて同様の盗用、盗作を平気で行っていたからである。戦後の復興期から高度成長期にかけて日本で製作された大衆文化、ファッション、商品、映画、テレビ番組、等々の多くが欧米圏、主としてアメリカの「パクリ」であった。それらはもちろん別に秘密でも黒歴史というほどでもなくて、そうしたものを今見ると「昔はこんなこともしてたんだ」と人々は思い、「かつて"アジア"であった日本」を落ちついた気持ちで、ノスタルジックに回顧するだろう。けれども、このノスタルジーの中では完全に忘却されている何かがある。そしてそれがあることが、他国の文化にみずからの過去を見たとき、上記のような感情的反応を示す理由なのではないかと思う。
もしもタイムマシンで昭和30年代の日本に行き、平気で外国の盗用・盗作をして憚らない私たちの先祖に向かって、「あなた、人の作ったものを盗んだりして、恥ずかしくないのですか? 自分のオリジナリティを出すべきでしょう?」などと言ったりしたら、どうなるだろう? いやぁまいったな、本当は悪いことだと分かってるんだけどね…とその人は恥じ入るだろうか? 絶対にそんなことはないと思う。たぶんその人は、何を甘っちょろいことを言ってるんだという眼で未来人である私たちを睨みつけ、「それどころじゃない」と答えるだろう。盗用が悪いかどうかなんて、もっと生活が安定してから心配すればいい。オリジナリティ? そんな「ブルジョワ的観念」はオレには関係ない、あんたらは勝手にそれで遊んでいればいい、と言うかもしれない。
戦争、大災害、困窮の時代の「記憶」を、未来に伝えていかなければならない、などと私たちは考える。そしてそれらを直接経験した人の世代が年老い、記憶が薄れて行くことを心配したりする。けれども、歴史的経験の中には原理的に、「そのまま伝える」という仕方では記憶できないものが存在する。死傷者の数や悲惨事の描写、その他様々な客観的事実は、もちろん記録し、伝えることができる。映像も言葉も残る。原理的に残すことのできないものとは、先ほど私たちの先祖が「それどころじゃない」と答えた時の、そのまさに「それどころじゃなさ」である。なんと言ったらいいか、そこから世界がそのように見える、身体の基本的配列というか、構えのようなものである。これは、原理的に記憶することができない。
戦後日本の平和主義、平和憲法への信頼というのは、本質的な意味では、そうした身体の構えから出てきたものだと思う。だから理屈に対して理屈で反論しても、堂々巡りになることが多い。戦争放棄なんてそんな理想主義的なこと言って、他国から自分や同盟国が攻撃を受けたらどうするんですか?と、豊かになりブルジョワになった私たちは、自分たちの先祖に尋ねるかもしれないが、壊滅の経験をくぐり抜けてきたばかりの彼らはおそらく「それどころじゃない、とにかくもう絶対に戦争は嫌だ!」と答えるだろう。この「それどころじゃなさ」の存在、あえて言うなら「死者の魂」の存在を認め、何らかの形で維持できなければ、平和主義を貫くのは不可能である。戦後の歴代の総理大臣と現職のそれとの決定的な違いは、前者においてはそうした死者たちへの負債の意識がたとえほんの僅かでも存在していたのに対し、後者においては完全に欠落しているという点である。
原理的に記録も記憶もできないものを、どのようにして未来に伝えていくのか? 一見それは、まったく不可能なことのようにも思えるかもしれない。でもけっして不可能なことではないと、ぼくは思うのである。先日、友人のジェラルド・シプリアーニ教授が組織した国際フォーラムに参加するために、越後妻有アートトリエンナーレを訪れた時、十日町の山間部にある「うぶすなの家」を訪れ、そこでの活動に関わっている人たちと話をする機会があった。「うぶすなの家」というのは、1924年に建てられた民家を改装したものであり、現在では陶芸作品の展示やレストランとして知られている。そこのディレクターである坂井基樹さんという方から、参加費が一席3万円もする茶会を開いているという話を聞いた。
豪雪地帯で限界集落に近いこんな場所で、地元の人々が参加できないような贅沢な茶会を開くのは、一見その土地の記憶とは無関係なバブリーな催しのようにも思える。なぜそんなことをするのかというと、そうした華やかな催しを行うことによって、その家や周囲の村がかつて賑わっていた時の「記憶」を、たとえ一瞬とはいえ回復することができるのではないか?という思いからだと言う。これは、面白いやり方だと思った。
過去を保存し伝えてゆこうとする時、私たちはモノや建造物を老朽化から守るように処理を施し、博物館に収めたり歴史資料として改装したりする。もちろんそれによってある種の「形」は残るのだが、そうして耐久性を持つ「資料」として生まれ変わることにより、「記憶」は決定的に失われてしまうのである。記録とは忘却にほかならないというパラドックスが、そこにはある。越後妻有アートトリエンナーレのようなフェスティバルに出展する作品は土地や建物の「記憶」をテーマにするものが多いのだが、そこでは過去の痕跡を忠実に表現しようとすればするほど、記憶への回路は封印されてしまうということになる。だから、事実的な過去をそのまま参照する作品ほどつまらない。「想起」を可能にするのは、かえって過去との事実的なつながりのない、思いがけないアプローチであったりする。「記憶」の伝達を可能にするのは、保存ではなく創造なのである。
だからぼくは、戦後70年経って飢餓や空襲や原爆を直接経験した世代がこの世から消えつつあることは、特別に憂慮すべきことだとは思っていない。人が年老い死んで行くのも、記憶がやがて薄れ消失するのも自然なことであって、それに抵抗するは誰にもできない。けれども、新しい世代が失われた「記憶」をめぐってさまざまな創造的試みを行うことを許容できるかどうかは、この世界の行く末を大きく左右する重大な分岐点だと思う。切迫した時代(今だってある意味そうなのだが)における身体の基本配列、「それどころじゃなさ」を表現へともたらすには、想像力が必要だ。世の中が「文化遺産」的なものばかりになってしまったら、過去への想像力は枯渇する。「記憶」とは、思いがけない場所での思いかげない想起によってしか、その命をつないでゆくことはできないからである。