日本記号学会第35回大会「美少女の記号論」が、この週末(5月16、17日)秋田公立美術大学で開催される。この大学の助教である阿部由布子さんが粉骨砕身動き回ってくれ、秋田のご当地アイドルグループ「pramo」の出演をはじめ、多彩なゲストやイベント、ステキなチラシやプログラムも完成して、会員以外からの問い合わせや参加申込みも予想以上に多いそうで、とても楽しみである。ただ、この企画の実質的責任者はぼくであり、現在この学会の会長でもあり、さらに『有毒女子通信』16号をこの大会に合わせて「特集:美少女を捕獲する」という特別号として刊行し、もうこの春は秋田の美少女に賭けてきた(笑)といっても過言ではないので、もしもこの大会が失敗したら美少女と心中する覚悟であり、それも本望かなとも思ったりしている。
それはともかく、大会の皮切りに「美少女は捕獲できるか?」という問題提起のような話をすることになっている。このタイトルは、最初に書いた企画書に仮題としておいたのがそのまま残ってしまったものだ。「捕獲」はマズいんじゃない? というような意見もあった。だって本当に少女を監禁したりする犯罪者はいるからね。でも少女に「美」がつくと現実味が薄れて、「美少女を捕獲する」というのがいったいどういう事態なのか実感がなくなってしまう。この空虚な感じがいいと思ったのでそのままにした。
美少女なんて架空の存在だと私たちはつい言いたがるのだけれども、そのことは私たちが美少女というものに深くとらわれている(捕獲されている)証拠である。昨年他の催しで秋田を訪れたとき、「美少女の記号論」というテーマを最初に提案してくれたのは上述した阿部さんなのだが、それを聞いた瞬間ぼくは「それで行こう!」と決めたし、今回もいろんな所でこの大会の話をしたら、たいていの人が「美少女の記号論? 面白そうですね!」と言う。どういう内容かは分からないけど、そういう学会なら行ってみたいと。それほどまでに美少女は無敵であり、人々の心に深く侵入しているらしいのである。
美少女は世界の救済者(「ナウシカ」みたいな)として神格化されているような面もあるので、学者がヘタに美少女を「分析」したりすると、美少女崇拝者たちから攻撃され炎上するのではないですか? などと心配してくれる人もいる(実はわが学会は以前京都大学でBLのシンポジウムをしたときに炎上したという前科がある)。けれども、美少女を捕獲することが実は美少女に捕獲されている事態を露わにすることであるように、美少女を分析することは本当は美少女によって分析されることでもある。美少女はあまりに深く私たちの中に入り込んでいるので、単純に対象化はできないように思える。だから「美少女の記号論」というのは、美少女という記号を考えているつもりでいながら、本当は、美少女から見ると記号論とはいったい何?!(実際、この学会を訪れる美少女アイドルからみたらその通りだ)というような問いなのかもしれない。
この問いの方が面白いのではないだろうか? だんだんそんな気がしてきた。