先日のメディア芸術祭でのシンポジウム「マンガと日常/マンガの日常」でお話したことについて、しりあがり寿さんがブログで補足記事を書いてくれました。すばらしい。それにつられて、ぼくもちょっと書き足します。
たしかに「ちょっとズラす」というようなテーマで、シンポジウムで「盛り上がる」のは、ちょっと難しかったかもしれない。「盛り上がる」というのはそもそも、ある程度「大きくズラす」ということですからね。
でもぼくは、同じ言葉に関する理解がくいちがっていたり、そのために会話がちぐはぐになったりするのを、かならずしも悪いとは思わない。あのシンポジウムも、まとまりのない感じがかえってマンガ的でまったりしてよかったというような感想もあった。
ちょっとズラすのがシュルレアリスムで、大きくズラすのはファンタジー、としりあがりさんは言う。それにしたがってみると、今はシュルレアリスムはあまり歓迎されなくて、ファンタジーばかり持ち上げられている時代のような気もする。
いまの日本の政治が、そもそも壮大なファンタジーに突き動かされているようにみえる。どんなファンタジーかということよりも、ファンタジーであること自体が、致命的に不毛だとぼくは思います。
そのファンタジーに対抗するのに別なファンタジーをもってしては、元も子もないです。支配的イデオロギーに対抗的イデオロギーを持って来ても無力だということです。この意味で、反対するなら代案を出せというのは間違っているし、この種のレトリックに負けてはいけない。
だから、ギャグはとても大切だと思う。システムは、大きくズラすのではなく、ちょっとだけズラすことによって、そしてその「ちょっとのズレ」をたくさんの人が支持することによって、結果的には大きな変化に導かれるのではないかと思っています。