明後日(2月16日)、第17回文化庁メディア芸術祭の最終日に行われるシンポジウム「想像力の共有地(コモンズ)」で、社会学者の大澤真幸さんと対談することになった。この「想像力のコモンズ」というタイトルは、ぼくが去年まで3年間座長をつとめてきた文化庁世界メディア芸術コンベンションという国際会議の第2回目(2012年)のために考えたテーマを継承するものである。
大澤真幸さんには、その翌年の第3回目「異種混交的文化における批評の可能性」に、室井尚さんと共に企画段階から加わってもらい、本番の会議にも出演していただいた。今回のシンポジウムはメディア芸術祭内部の催しとして企画されており、第1部では、津田大介さん、物語評論家のさやわかさん、第2部では美術家の中原浩大さん、ヤノベケンジさん、村上隆さんが出演される。
大澤さんとぼくのセッションは第3部である。依頼が直前だったし、しかも今は、学位論文審査、大学院入試、学部入試と一年でもっとも大学に縛られる時期なので、正直いって準備する時間がないのだが、言い訳をしても仕方ない。「文化は〈共有地〉を見いだせるか? —「メディア芸術祭」という場所を考える—」というタイトルを、とりあえず考えてみた。「概要」と言われたので、とりあえず次のようなテキストを書いてみた。
文化庁メディア芸術祭は、芸術的意図を持った作品から、様々なジャンルのマンガやアニメ(アニメーション)、そしてゲームなど娯楽を基調とする制作物までをカバーしてきた。それはいってみれば、現実社会の中では必ずしも出会うことのない文化の諸領域を、「メディア芸術」という言葉のもとに「共有」しようとするフェスティバルである。もちろんそれら領域どうしはたえず互いを参照したり引用しあったりはしている。けれどもそこに、どんな個別的領域にも帰属しない〈共有地〉に相当するようなものはあるだろうか? 私たちの文化には、各領域に固有の(そしてしばしば暗黙の)慣習、規則、評価軸といったものから離れて議論できるような場所はあるだろうか? 本シンポジウムでは、未来における文化的活力を確保するために、文化的環境となる「想像力のコモンズ」を考える。
もう文化庁のサイトに載ってしまったんだけど、うーん、ちょっと気負いすぎかなと感じる。アート、マンガ、アニメ、エンターテイメントといった要素は、ぼくは本当は領域とか分野とは思っていなくて、むしろこの現実を見るためのいくつかのアスペクト、切り口のようなものだと考えている。だからそれらは当然オーバーラップしているし、「アートとは何か?」とか「アートはエンターテイメントと何によって区別されるか? 」といった問いを立てても、あまり意味がないと感じている。むしろ、それら複数のアスペクトが相互に切り結ぶ関係を記述する言葉を発展させていくことが面白いのではないだろうか? 「メディア芸術」という括りは、現代の文化を語る上でのそうした方向性を指し示してくれる点で意味があると考える。
そして、「想像力のコモンズ」って何だろう?とあらためて考える。自分が発案しておいて無責任だと言われるかもしれないが、この言葉が何を意味するのか、ぼくは率直なところ、まだ分からないのである。でも分からないから探究する意味があるような気もするのである。