歌というのは、悲しみに満ちたこの世が少しでも生きやすくなるように、神さまがこの世界に送ったものである。
アメリカの作家で民話収集家だったゾラ・ニール・ハーストンの Tell My Horse: Voodoo and Life in Haiti and Jamaica (1938) の最後に、たしかこんな話があった。天国で神さまが育てている米をホロホロ鳥(pintards)が食いあらすので、神は天使や使徒たちを呼び、鉄砲を持たせてあいつらを殺してこいと命じる。けれども使わされた神の僕たちはみな、ホロホロ鳥が歌い出すと自分も愉快な気持ちになるのを抑えきれず、撃つことができない。仕方なく神は最後にはみずからホロホロ鳥のところに赴くのだが、神ご自身が来られたことを知ったホロホロ鳥たちは、テンポをいつもの2倍にし、さらに2倍にした。さすがの神もこれには抗えず知らず知らず身体がリズムをとって、米のことなんてどうでもよくなってしまった。幸せそうな鳥たちを殺すことができない神は、彼らを地上に送ることにした。なぜなら自分の創造した世界はまだ悲しみに満ちており、人々は幸せではなかったからである。
おもわず口をついて出る、というのが歌の本懐であろう。たくさんの人々の口をついて出た言葉と節回しがおのずから唱和し、身体がおのずからそれに合わせて動く。それが歌である。こわばった心をほぐし、悲しみや恐怖を和らげ、たとえそれによって客観的現実は何も変えられなくても、そして最も深い絶望の中ですら(あるいは中だからこそ)歌は、うたわれてきたのである。
けれども子供の頃ぼくは、歌が嫌いだった。それは学校の音楽の時間や、遠足のバスの中で、無理やり歌わされたからである。昔の小学校の遠足のバスはとくにひどかった。バスガイドさんがハンドマイクを回して、前の席から順番にかならず何か歌わなければいけないのである。そうしたことによってぼくは、遠足が嫌いになり、学校が嫌いになり、そして歌が嫌いになった。けれども、その当時ははっきり言葉にすることができなかったのだが、本当に歌が嫌いなのはぼくではなく、周囲のクラスメートや先生やバスガイドではなかったのだろうか? と感じていたのである。なぜなら彼らは、歌うことを強制すること、つまりは歌をたんなる手段とすることによって「楽しい遠足」のような偽の現実をでっち上げようとしていたように思えたからである。
ぼくは、「君が代」はすぐれた歌だと思う。近代の国歌なのに、理念的なことは何も言わないで、ひたすら"Le roi est mort, vive le roi !"のようなこと(ぼくの解釈だが)を、しかも直接的でなく、比喩によって静かに、厳かに言祝ぐものである。皮肉でなく、現代音楽の作品といってもいいくらいだ。軍国主義時代の記憶が纏わり付いてるといっても、今のところほかに候補はないのだから、この歌を私たちの国の歌とすることに異を唱える気持ちは、ぼくにはあまりない。ただしそれは、この静かな歌がみんなの口をついて出、自然に唱和される場合であり、その場合に限る。
芸術作品の経験がすべてそうであるように、歌うことに「強制」が入り込んだ瞬間、すべてが一変する。作品も、その意味も、その作品が持っている社会的な役割も。歌そのものは同じなのに、すべてが正反対のメッセージに変換されるのである。この歌に複雑な思いを持つ人が少なくないのは、この歌を強制しようとしている者たちが、本当は、この歌をぼくと同じようには愛していないからである。彼らにとってこの歌は、自分たちの望む社会的統合のイメージを作り上げるための、単なる手段にすぎないからだ。だから、この歌をいちばん穢しているのは、他の誰でもない、この歌を強制する者たちなのである。「国賊」という薄汚い言葉が唯一意味を持ちうるとすれば、そうした者たちの呼び名としてであろう。