第3回「世界メディア芸術コンベンション」(「異種混交的文化における批評の可能性」)が終わった。
会議はストリーミングなどでは公開されなかったが、会議の記録はウェブおよび出版物の形でまもなく公開される予定である。なので、ここでは会議の詳細な内容について報告するのではなく、座長として今現在感じている気持ちをとりあえず記しておきたい。
もちろん何をおいても、この会議の趣旨をよく理解し、講演、インタヴュー、ディスカッションを通じて協力してくれたパネリストの皆さん、そして2日間にわたる討議を熱心に聴講し鋭い質問や議論を投げかけてくれたオーディエンスの皆さんに心から感謝したい。
この会議に参加してくれた何人かの方々から、メールやSNSを通じて、「単に面白いとか知識を学んだという以上の経験だった」とか「生き方に影響を受けた」というような感想をいただいたらしい。非常にうれしいことである。なぜなら、ぼく自身もこの会議を通じて、自分もたいへん勇気づけられたと感じているからである。
それはどういうことかというと、「批評」という(一見地味な)テーマに対して、こんなにたくさんの人が、しかも強く反応してくれたからである。
この会議では、そして特にぼくの立場からは、「批評」を何か専門的な領域や職業的な仕事とみなすのではなく、むしろ言語一般のもつ働き、見慣れた世界を異化し他者へとつながる地下道を掘る活動として捉えようと試みた。
過去2〜30年ほどの間、日本では(そして欧米でも似たような状況があると感じているのだが)、言葉というものが信用されず、言葉の持つ反省的・批判的な力が、ないがしろにされてきたとぼくは思う。そのことを講演の中で「メディア芸術状況」と呼んでみた。それが批評の死滅ということである。
でも1980年代、「ポストモダン」の時代には、そのようにして言葉がしだいに「軽い」ものになり、意味が相対化されていくのはいいことだ、とぼく自身信じていた。なぜかというと、思想やイデオロギーの錘で身動きがとれなくなっていたそれ以前の言葉の状況を、とても不自由だと感じていたからである。
だから、「批評の死滅」をもたらした相対主義やシニシズムは、けっしてそれ自体が悪いものではなかった。ただ、それは行き過ぎたのである。相対主義やシニシズムは、病を解毒する刺激剤ではあっても、それらを食べて生きることはできない。私たちが生きているのは、相対主義とシニシズムが批判的刺激としてではなく、退屈な日常と化している状況である。そうした状況を会議では「オタク的」と呼んだ。
批評を再生すること、言葉の活動力を取り戻すことは、相対主義とシニシズムを端的に放棄して、ストレートなロマン主義やナショナリズムに回帰することでは、もちろんない。「オタク的」でありながら(当面私たちは誠実であろうとすれば多かれ少なかれ「オタク的」でしかありえないと思う)、その中で現実の自明性から逃れる思いがけない通路を見出していくこと、ロマンチックな広大な距離ではなく微小な距離を蓄積していくこと。そうした実践の中に希望が見出せるのではないか。
芸術や批評を、結局は「誰のために」やっているのか?という問いに強い反応があったことにも、とても力づけられた。ぼくはそれらは「他者」のためだと直感している。大澤真幸さんによれば「第三者の審級」が絶対的に必要であり、三輪眞弘さんによれば芸術とは神への奉納である。自分の存在や自分の活動に意味があるのは、他者によって保証されているのである
そして、こうした考え方は、自己の生存を求める本能と矛盾しない。この点をもっとも強調しなければいけないかもしれない。他者のために生きるのでなければ、自己を保つことも自己利益を増大することも、究極的には不可能なのである。なぜなら世界は本来そのように出来ているからだ。