自分よりも若いある友人が昨年秋、神経にかかわる重篤な病に突然倒れた。入院後2ヶ月を越える検査にもかかわらず、いまだ原因も治療法も確定せず、リハビリ病棟で悶々とした日々を送っている。見舞いに行って話をするのだが、やり切れないのは持続する痛みである。腹部を中心とする激しい痛みが、数秒という周期で一日中継続し、休まるひまもないという。もしもこの痛みがこの先も改善しないなら、それでも生き続ける自信はないと彼は言う。それはそうだとぼくも感じた。
その痛みは、身体が何かの異常を知らせるためのメッセージではない。たんなる神経伝達の「エラー」なのである。つまり彼の身体は、痛みを感じねばならない必要は本来まったくないのだ。ところがそんな無意味なエラーに、現代の最先端の医学はまったく対処できないらしい。処方された鎮痛剤はまったく効かない。原因が判明しないので手術もできない。彼が個人的に頼んでいる施術師によるマッサージや、昼間お見舞いに来た人と話す時間など、何かで気が紛れている時のみ、すこし気持ちがましになるだけだと言う。夜になり、眠ることもできず、痛みと自分だけが向き合わなければならない時間が恐ろしい。
想像するだけでもやりきれない気分なのだが、昨日また面会に行ったとき、前とは違う病室に移っていて、この場所は前よりずいぶんよくなった、と彼は言っていた。前は4人部屋の廊下に面したベッドだったのが、いまは別な部屋の、南側の窓に面した比較的広いスペースに移ることができたからである。窓といっても、曇りガラスで外の風景が見えるわけではない。それでも一日の光の変化が感じられる空間にいることはとても重要なのだ、と彼が言うのを聞いて、ぼくは今年83歳になる自分の母のことを思い出した。彼女はもうひとりで外に出ることはできない。けれども毎朝家のカーテンを開け、その日いちにち外界の光の変化を感じて過ごし、夜にそれを閉めることが楽しいと言う。
生きることは、つねに窓ガラスのこちら側にある。もちろん若く健康ならば、窓を開けて外に出て、冒険的な経験に身をさらすこともできるだろう。多くの人はそれが人生だと思っている。けれども、生の意味はいつも窓のこちら側にあったのである。人生の意味が「外」にあると信じることのできる、若くて健康な人の多くには、その真実が見えない。たとえ年老いて健康を失っても、窓の外を希求しているかぎりそれは見えない。外への執着から距離をとったとき、はじめてそれが見える。本当の人生はそこから始まるのである。とはいえ、たとえ若く健康であっても、何らかの仕方でそのことを見る訓練はできるのではないか、とぼくは考える。アートも哲学も、ある意味ではそうした訓練にほかならならないと思っているのである。
今日(1月22日)、京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA(アクア)で開かれている「京都芸大博士展」を観に行ったら、出展者のひとりである伏木啓君と会った。それで彼の映像インスタレーション作品「ダブル・ブラインド(Double-Blind)」をゆっくりと観た。モニターに映し出される映像では、窓の外に揺れる木立のシルエットがある。だがその手前に手が現れ、視る者と窓を隔てるみえない透明な面の上に砂が撒かれ、しだいに外が見えなくなってゆく。また大きなプロジェクションでは、地面や水面の風景が、やはりその手前にある透明な面に降り積もる銀杏の落ち葉によって、しだいに隠され、見えなくなってゆくのである。
「ダブル・ブラインド」という言葉はもともと、薬品などの検査において、先入観を排除するために医師と患者の両方に、それがどの薬であるかを知らせないで検査する方法のことを言うらしい。だが伏木さんのこの作品においては、この言葉に異なった意味が付与されている。「外」の風景と視る人の間に透明な壁があり、その上に遮蔽物が降り積もることによって「外」がしだいにみえなくなる(第一のブラインドネス)。そしてそのプロセスを通じて、そもそも遮蔽物がなかったときでも、私たちは「外」など見えていなかったのではないか(第二のブラインドネス)が示唆されることになるのでるある。
ぼくにとってこれは、生の意味は「窓ガラスのこちら側」にあるということを、強く意識させる作品体験であった。「外」に意味があるという意識の虚妄は、外がいちど本当に(物理的に)見えなくなるというプロセスを通じて、はじめて自覚される場合が少なくない。このことは、実人生においては痛みを伴う経験であることが多いけれども、アートは「外」へと向かう直接の通路を遮蔽することによって、そうした自覚をある仕方で予示し、共有することを可能にするのである。そして、作品経験をそうした予示や共有に向かって開いてゆく言語活動のことを、ぼくは批評と呼びたいのである。